「さっぱりした~。やっぱり温泉っていいよね」
この世界では個人で湯殿を所有していることが稀なため、全身を湯に浸して入るということができないのだが、ここ熊野は温泉が豊富で毎日入れる現状に望美はご機嫌だった。
「やあ、姫君」
「ヒノエくんも温泉に来たの?」
「俺は麗しい花に惹かれてきたんだよ。濡れ髪の美しい姫君に、ね」
「もう……ヒノエくんはすぐそういうこと言うんだから」
湯あたりとは違う頬の赤みに、ヒノエは微笑みながら望美の隣りに腰を下ろす。
「温泉、気に入ってもらえたようだね」
「うん! この前の温泉もよかったけど、ここのもすごい気持ちよかったよ! なんだか肌がすべすべになるみたい」
「それはよかった。姫君の玉の肌により磨きがかかる」
「もう……」
甘言に赤らむ顔を隠すように顔をそむけると、辺りに視線を移した。
「熊野っていいところだね」
「そうだろ?このままずっといたっていいんだぜ? 望美なら大歓迎さ」
「あはは、ありがとう」
笑いながら、翡翠の瞳が見つめているのは平家の未来。
剣を握り、道を切り開く神子。
そんな彼女に、興味以上の想いを抱いている自分。
「そういえば熊野の別当って女たらしなの?」
「………は?」
「本宮で会った人が、別当を探している女の人がたくさんいるって言ってたから」
望美の言葉に、ヒノエは内心で苦虫をかみつぶす。
「別当はいい男だからね。花の方が放っておかないんじゃない?」
「そうなの? ふーん……」
どこか釈然としない望美の答えに、そっと耳に手を伸ばす。
「ヒ、ヒノエくん!?」
「水滴が耳を飾ってるよ」
「あ、ありがと……」
ヒノエの濡れた指先に望美が小さく礼を言いながら、ふと違和感を感じて耳に手をやる。
「これ……イヤリング?」
「ふふ、思った通りだ。よく似合う。可愛いよ」
「ほ、ほんと?」
「ああ、ものを見る眼には自信があってね。俺がこれだと思ったものは絶対に間違いないぜ?」
自信満々に言い切られて、耳まで真っ赤に染まってしまう。
「特に、本気で大事なものならさ」
「えっ?」
「望美。この戦いが終わったら、熊野においで。この世のどんな姫君より大切にするぜ?」
ヒノエの告白に、望美は驚き彼を見る。
「唐の錦も天竺の瑠璃も、お前が望むなら何だって手に入れてやる」
それは手に入れることが困難なものばかり。
まるでかぐや姫の無理難題をこなそうとする求婚者のような口ぶりに、望美は茫然とヒノエを見る。
「――くしゅん!」
「おっと、長話ですっかり湯冷めさせてしまったね。送ってくよ」
差し出した手を、躊躇い、取る望美。
告げられた言葉は、いつまでも望美の中でこだましていた。
→次の話を読む