平家の神子

ヒノエ3、色づく想い

「失礼するよ、望美。今日、ちょっと時間あるかい?」
「何かあるの?」
「宋からの船が港に着いたんだ。せっかくだから案内してやろうと思ってさ。市もたつし」
「なんだか面白そうだね。いいよ、一緒に行こう」

熊野川氾濫で本宮方面へと引き返すことになった望美たち。 しかし来てまたすぐとって返すのはきついと、半日休みになっていた。

「あの船が中国に行ってきたんだね。――すごいな」
「熊野は徐福の時代から大陸との行き来があるんだ」
「徐福?」
「秦の始皇帝の命を受け、不老不死の仙薬を求め旅に出たといわれている古代の方術士だよ。向こうでは、熊野三山を神仙の住むところ、蓬莱だと考えてるのさ」
「へぇ」
「お前も熊野に住んだら蓬莱の仙女様みたいな暮らしができるぜ。熊野の海も山も、流れる滝もすべて、お前を祝福する」
「何よりヒノエくんがいるからお勧めってこと?」
「正解。どう? 熊野での生活、悪くないだろ?」
「ヒノエくんってばいつもそうなんだから」
「ふふっ、今更殊勝になったって気味が悪いだろ? それに、可憐な姫君を誘う言葉は、自然に湧きいずるものだしね。だから一緒に……」

言いかけ、突然口をつぐんだヒノエに、望美は不思議そうに彼を見上げた。

「さて、どうしたものかな?」
「だから一緒に……どうするの?」
「ええっ?」

突然見知らぬ女の子に問われ、望美は顔を赤らめながらヒノエを睨んだ。

「もしかしてヒノエくん、気づいてたの?」
「途中からね。まっ、人に聞かれちゃまずい話でもないし」
「聞かれていい話でもないよ! 恥ずかしいじゃない」
「ははっ、やっぱりそうか。じゃ、続きはまた後でってことで――」
「ねえ、もしかしてずっとここにいたの? お父さんかお母さんは?」
「お母ちゃんと一緒に来たんだけど、お母ちゃんいなくなっちゃった」

母親とはぐれたらしい少女の手をとり、望美は近くの人々に声をかけてまわる。
しかし少女の母親を知る者はおらず、望美は途方に暮れてしまった。

「お前がそこまで思いつめる必要はないよ、姫君。心配しなくても、じきに母親が探しに来るさ」
「お姉ちゃん……行っちゃうの?」
「大丈夫だよ。置いていったりしないよ」
「俺にもそれぐらい優しくしてくれても、罰は当たらないと思うけど? 俺もすがってみようかな。どこにも行かないでってさ」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないってわかってるでしょう」
「しょうがないね。もう少しお付き合いするよ」

早く母親に会わせてあげたくて、望美はヒノエを説得して違う場所へと足を運ぶ。 しかし、必死に声をあげて探しても少女の母親の姿はなく、望美は困ったように眉を下げた。

「お姉ちゃん……」
「大丈夫。絶対お姉ちゃんがお母さんのこと、探してあげるからね」
「ふうん……」

瞳の潤んだ少女を励ますように力強く答えると、後ろからヒノエが感心したように微笑んだ。

「こういう時にちゃんと笑える女ってのはいいね」
「え??」
「ちょっと俺は行くトコあるけど、このへんにいなよ。すぐに戻ってくるからさ」

そう言って歩いていくヒノエを、望美は少女と見送った。

* *

「いるかい?」
「はい」

人気のなくなった場所で声をかけると、目の前に降り立つ黒い影。
それは烏と呼ばれる、熊野の間者だった。

「みてわかってるな。あのお譲ちゃんの母親を見つけ出せ」
「……はっ」

ヒノエの命に簡潔に頷くと、烏は足音もなく立ち去った。

「お前は本当に面白いね」

龍神の神子。
戦神子。
未来を見通したようなことを言うかと思えば、迷子の少女を気遣う優しさを見せる。
今の彼女は、剣をとって勇ましく戦う戦神子ではなく、慈愛に満ちた女性だった。

「さて、どうするかな?」

中立を謳う熊野。
しかし、両家は助力を求めてやってきた。
水軍の力を求める源氏と、瀬戸内の支配を守りたい平家。
源氏と平家……争う両家の均衡を崩しうるもの・それが望美だとヒノエは見ていた。
それは都を追われてなお、勢力の衰えない平家を見ても明らかだった。
熊野は源氏、平家どちらとも縁がある。
だが、父が築いた平穏を守るのは別当の務め。
しかし面会を求めてきた以上は、何らかの答えを出さなければいけなかった。

* *

「こっち、こっちだ。あんたの子供だろ?」
「おかあちゃん? おかあちゃんーっ!」
「ごめんね……よかった……無事でほんとによかった」

水軍の男の案内でやってきた母親は、少女の姿を見るなり駆け寄り抱きしめた。

「どう、見つかったかい?」
「うん。あの人たちはヒノエくんが頼んだの?」
「使える人手は使う性質でね」
「ありがとう!」

微笑み礼を言うと、親子へと目を移した。

「どうしたんだい? すべてうまくいったのに、眉を曇らせるなんてさ。まだ何か気になることでもあるのか」
「ううん、別に」
「言ってみなよ、姫君。お前は嘘が下手なんだから」

優しく促されて、望美は海の向こうを見る。

「考えてもしょうがないことなんだよ。ただ……うちのお母さんも心配してるかな……って」

白龍の誘いで、突然この異世界に連れてこられた望美。
時空を超える前の四年余りと、この時空での三年間。
あれから七年もの月日が過ぎていた。

「……月には月の都がある。天人が天を恋うのは当然のことだ」

そう、望美は異世界の住人。
いずれは消える存在。

「お前がいつか天に戻る羽衣を手に入れた時……帰るなって言ったらどうする?」
「ヒノエくん……?」
「ふふっ、悪い悪い。お前の顔を見てると、ついいらないことまで口に出るね。これ以上余計なことを言う前に……帰ろうか」

感傷を振り切るように笑って、望美を促し帰路に就く。
その夜、ヒノエは一人盃を傾けながら空を見た。

「俺らしくないね……」

どうしてあんなことを言ったのか?
思っていた以上に自分が望美を気に入っていたことを、あの時ヒノエは知った。
美しい花と一時戯れ、別の花へと飛んでいく。
まるで蝶のように恋をしてきた。
いや、恋とも呼べぬものだった。

「この俺を本気にさせるのかい……?」

今まで会ったどの女とも違う望美。
誇り高い武士のように見えたかと思えば、幼子のように無邪気に笑い、嘆き悲しむ。

抱き始めた想いと熊野。
両者を天秤にかけて迷うことはない。 決断は誤らない。
それでも、ほのかな痛みを与える想いを手放したくはないと、月を見上げた。

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