平家の神子

弁慶8、神子

「あいつは大丈夫なのか?」
「あいつって弁慶さんのこと?」
「ああ」

今後のことを話し合っていた中での言葉に、望美は将臣を見上げた。

「この前の戦でも、和議を餌に源氏が奇襲をかけてくるって進言してくれたし、戦場でも九郎さんと戦ってくれたよ」
「……どうも何か企んでる気がすんだよな」

眉を潜める将臣に、望美も顔を曇らせる。
望美とて弁慶を信じきっているわけではない。
前の時空では、何度も利用されたのだから。
それでも――。

「戦を終わらせたいって……それは本当だと思うの」

春、京で会った時、語った弁慶の瞳に偽りはみられなかった。

「……気を許しすぎるなよ。あいつが源氏の軍師だったことを忘れるな」
「うん……」

将臣が出て行った部屋で、一人望美は弁慶のことを思う。
初めて出会った時は、なんて綺麗な人なんだろうと思った。
淡い髪色は金色に見え、いつも穏やかな笑みを浮かべている人だと、そう思っていた。
けれど、一緒に行動するようになって気づき始めた軍師の顔。
非情で、人を騙すことも、切り捨てることも厭わない。
望美自身、前の時空では何度も苦しい選択を迫られた。
なのに、貧しい人たちを無償で看る優しさ……望美は弁慶がどんな男か掴みきれずにいた。

「望美さん」

呼びかけに、驚き御簾向こうを見る。
そこに映る影は、今思い描いていた人。

「少しいいですか?」
「あ、はい。どうぞ」

入室の許可をすると、弁慶が御簾を持ち上げ部屋に入る。

「突然すみません。君に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
「はい。後白河院に再度和議を持ちかけたというのは本当ですか?」

一ノ谷の戦いを終えた後、今度こそ本当に和議を結ぶために、後白河院の元に熊野別当であるヒノエを使者に立てていた。

「今なら後白河院も頼朝も和議を受け入れると思うんです」

先の戦で圧勝を収めた平家。
三草山に続いて敗れた九郎は、総大将の任を解かれていた。

「和議は清盛殿も合意されているのですか?」
「はい。ずいぶん渋りましたけど、将臣くんと一緒に説得しました」
「ふふ。清盛殿も君と将臣くんの願いは聞き入れるんですね」

平家の棟梁として絶対的権力を誇る清盛。 それは怨霊となった今も変わることはないが、生前一番信を置いていた息子・重盛に生き写しの将臣は特別なのだろう。

「これで君の願いが叶いますね」

和議を結べば、源氏が平家を追討することは出来なくなる。
各地を転々と追われ続けた平家はやっと安住の地を得られるのだ。

「弁慶さんの願いもかないますよね」
「……そうですね」

望美の言葉に、気づかれない程度の一瞬の間の後微笑む。
そう、戦はこれで終わるだろう。
残るはただ一つ――。

* *

和議のために上京した望美は、一人滞在している邸を離れ、空を見上げた。
沈みゆく夕日に染まった茜色の空は、すべてが炎に包まれたあの日の記憶を呼び起こして、きゅっと唇をかみしめた。
慎重に、糸を紡ぎ直して、平家が滅ぶ道を避けてきた。
もう追われることのないように、源氏と和議を結ぶ。それが今、叶おうとしていた。

「今度こそ……」

もう二度と、平家を滅ぼさせたりはしない……そう改めて決意を固めた瞬間、荒々しい足音が響き、数人の武者が望美を取り囲んだ。

「――平家の神子だな」

纏う鎧から源氏の手のものと知ると、望美は剣に手を添えながら油断なく相手を見る。

「数日後には和議が結ばれるのにどういうこと?」
「落ちぶれた平家が我ら源氏と並び立つなど片腹痛いわ! そのことを後白河院に知らしめてくれよう!」
「頼朝の差し金?」

望美の問いには答えることなく、男たちはじりじりと距離を詰めてくる。

「和議は成すよ!」

襲いかかってきた剣を続けざまに払い、斬る。

「ぐあっ……!」
「こいつ……できるぞ!」

傷つけたくない……それを選択できるほど、この世界は甘くはない。
望美が剣を引けば、男たちは彼女を捕え、和議交渉を妨げる人質にするだろう。
それでも、肉を断つ感触はいつだって嫌なもので、慣れることなんてない。
傷つけあわずに済んだのなら、どんなにいいのだろう。

「おおおうっ!」
「…………ッ!」

男の剣が袖を掠め、わずかな痛みを覚える。

「殺しさえしなければいい! 多少傷つけても捕えるぞ!」

剣の腕は望美が優っていても、数にものを言われるのは不利で、この窮地をどうやって切り抜けようか、望美は必死に考える。

「ぐあぁっ……」
「!?」
「お前は……武蔵坊弁慶!」

真っ黒な外套に包まれ、薙刀を振るうのは源氏の元軍師・弁慶。

「鎌倉殿は黒龍の神子で飽き足らず、白龍の神子まで望まれますか」
「裏切り者が鎌倉殿を愚弄するか!」
「鎌倉殿には申し訳ないのですが、望美さんを渡すわけにはいきません」

ブン、と振るわれた薙刀が取り囲んでいた男を振り払うのを見た望美は、すかさず傍らの男を切り払う。 そうしてすべての者が地に伏せると、望美は剣を鞘にしまった。

「ありがとうございました、弁慶さん」
「いいえ。ですが、一人で出歩くのは危険だとわかったでしょう? 今は和議がなされる前。油断は命取りになります」
「……はい。すみませんでした」

確かに剣を持って出たとはいえ、一人になったことは軽はずみだったかもしれない。
素直に頭を下げる望美に、弁慶は近寄るとその腕をとった。

「…………ッ!」
「毒は塗られていないようですね。傷も浅い。望美さん、こちらへ」

促され、木の傍に腰を下ろすと、手早く治療を施す弁慶に身をゆだねる。

「――これは以前負ったものですか」

弁慶が見つめているのは、いつかの戦の折に負傷した傷。
白い肌に刀傷が浮かび上がり、それは痛々しく目に映った。

「君はどうして戦っているんですか」
「……平家を滅ぼしたくないからです」
「戦うなら他の者に任せることも出来るはずです。君は白龍の神子なのだから」

それは以前、知盛や将臣にも言われたこと。

「守られるだけなんて嫌なんです。私もみんなを守りたい」

望美の身を案じ、平家から逃がした経正と敦盛。
望美を受け入れ、共に戦った知盛と重衝。
そして、望美を庇い、命を失った譲。
戸惑い、ただ流されていた結果が、平家の滅びであり、大切なものたちの死だった。

「神子らしくないって思いますか?」
「――いいえ。君は気高くて……美しい人だ」

奥で奉られることを望まず、自ら剣を持ち戦場に立つ。
望む未来を……大切なものたちを守るために。

「ですが、君の身体にこうして傷が刻まれるのは忍びないですね」

緩やかに身体をめぐる五行の力。
望美と共にあるようになって得た、八葉の力。

「え? 傷が消えた?」
「八葉は神子と心交わすことで特別な力を得られるんです」

弁慶の言葉に、前の時空で五行の力を合わせ、特別な技を振るっていたことを望美が思い出す。

「……弁慶さんは癒しの力ですね」
「ですが、前に残った傷は癒すことができません。だから、どうか君自身を大切にしてください。君が平家を大切に思うように、君自身を大切にしてください」

敵としてはだかっていた自分が口にするのもおかしなものだが、それでも偽らざる本音だった。

「…………はい」

みんなを守れるのなら、どんなに自分が傷ついても構わない。
けれども、それでみんなを傷つけてしまうのならば、望美は望美も守らなければならない。
そう、弁慶が告げていることがわかって、望美は素直に頷いた。

「戻りましょう。君の姿が見えなくて、きっと将臣くんたちが心配しています」
「はい。ありがとうございます、弁慶さん」

向けられた微笑みに、かすかに痛む胸。
その痛みが新たな罪であることを自覚して、弁慶はそっと目を伏せた。

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