平家の神子

弁慶7、神子の先見

「和議、ですか」

源氏、平家双方に届けられた、後白河院からの和議の院宣。 その事実に、弁慶は眉をひそめた。

「弁慶さん?」
「君たちはこの和議を受けるつもりですか?」
「……どうしてそんなことを聞くんですか?」
「この和議は頼朝殿の作戦だからですよ」

あっさりと言い捨てる弁慶を、望美は驚き見つめた。

「三草山で負けたとはいえ、以前源氏が有利なはず。なのにここ福原に頼朝殿の御正室である政子殿がわざわざ来るのは明らかにおかしい」
「それは……」
「院宣もあるということは、後白河院も咬んでいるのでしょう」

わずかばかりの情報でそこまで考えつく弁慶に、望美は改めて彼の軍師としての能力を知る。

「弁慶さんが言う通り、源氏はこの和議を利用して攻めてきます。――だから、その裏をかきます」
「……君は不思議な人ですね。まるでこの先の未来を知っているようだ」
「知ってるんです」
「確かに和議の時ほど危ういもの……しかし和議を求める君なら、この話を喜んで受けるのでは?」
「源氏が本気で和議を進めるつもりなら、私だって喜んで受けます。けれど……」

先の時空では弁慶の言う通り、この和議は踏みにじられた。 平家と源氏が並び立つことはないと清盛が思っていたように、頼朝もまたそう思っているのだろう。

「……わからないな。君は本当に未来を知っているのですか?」
「弁慶さんが信じられなくても、私は見てきたんです。だから、平家を守ってみせる」

瞳に宿る光は、迷いのないまっすぐなもの。

「策はあるのですか?」
「はい。ここが福原なら……」

* *

「……始まったようですね」

生田の方角から聞こえた開戦を知らせる音に、望美が顔を曇らせる。

「やっぱり和議は成らなかったんですね……」
「君は知っていたんでしょう?」
「……はい」

前と同じく踏みにじられた和議。
けれど、そうなることを望んだわけではなかった。

「攻めているのは、おそらく景時でしょう。けれど生田を守るのは知盛殿と重衝殿。彼らならば簡単に負けることはないでしょう」
「うん」

知盛と重衝兄弟は、平家でも名だたる武将。 景時がいかに優れた軍奉行だとしても、生田を落とすのは容易ではないはず。

「……それにしても本当にここでいいんですか?」

望美達がいるのは、平家の陣の奥ではなく、一ノ谷の背後の崖下。

「九郎さんはここを馬で駆け下りてきます」
「しかしあの崖は鹿など獣しか通れない急な崖。そんなところを本当に駆け下りるでしょうか……?」
「そう考えるのを見越して、裏をかいて奇襲を仕掛けてくるんです」

偽りの和議と同様に、この先起こることを予見するように話す望美を、弁慶は不思議そうに見る。

「――それも龍神の神子の先見ですか?」

問いかけに寂しげに微笑む望美。
洞察力が優れているのか、それとも――。

「崖の上に源氏が現れました!」

兵の声に高まる緊張。
それは、望美が知る未来どおりだった。

「ぐあっ!」
「平家の伏兵だぁっ! うわあぁ……」

奇襲を仕掛けたつもりが、逆に崖を駆け下りるために兵の数を分散してしまったことが仇となり、将臣の策通りに源氏は追い詰められていく。

「馬鹿な! 奇襲が読まれていたのか!? ……くそっ、西へ向かえ! 迂回している仲間と、なんとしても合流するんだ」
「無駄ですよ」
「弁慶!? お前、どうしてここに……!」
「九郎殿、逃げた兵たちが引き返してきました! このままでは取り囲まれます……っ」
「く……っ。総員退避しろ!」

弁慶の出現に九郎は驚くが、自軍の不利を悟って撤退する。

「いいのですか? 九郎を捕まえれば、源氏の軍は崩れるでしょう」
「いいんです。目的は源氏を福原から引かせることだから」

戦意を削ぎながら追撃をかけない望美。
そのやり方に、弁慶は瞠目する。

「甘いと思いますか?」

弁慶の疑問を見抜いたような問い。
それにどう答えるべきか考えていると、望美はまっすぐ前を見た。

「私が望むのは、源氏を滅ぼすことじゃない。戦を終わらせて、平家に平穏な日々を与えることなんです」

それは絵空事のような夢。

「平家と源氏は並び立たない。どちらかが滅びるまで、この戦は終わらない……そういわれました」

だけど。

「戦が続く限り、同じことが繰り返される。誰かを殺せば誰かが泣く」

だから。

「この戦いを終わらせて、平和な世界にする。必ず源氏と和議を結びます」

そう言い切る姿はあまりに気高く、弁慶は眩しげに目を細めた。
弁慶とは違う、光の中を歩いて戦を止めようとする望美。

「君ならば……」
「え?」
「いえ。戻りましょう。将臣くんが呼んでいますよ」

陣の中央で取り仕切る将臣を見ると、望美を促し歩いていった。

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