平家の神子

弁慶5、欲するもの

「炭は譲くんが買いに行ってるし、油も買ったし、これで大丈夫だよね」

必要なものを思い描いて頷くと、買ったばかりの油を持って来た道を戻る。 しかし市場には見慣れぬものがたくさんあり、ついつい品物に目を取られよそ見をしていた望美は、どんっと人にぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさいっ」
「いいえ。君の方こそ大丈夫ですか?」
「べ……弁慶さん!」

ぶつかった相手が源氏の軍師である弁慶であることに気づき、望美は驚き向き直った。

「どうして熊野に?」
「ふふ、君と同じですよ」
「源氏も熊野に協力を求めに来たの?」
「平家はそうなんですか?」

問うたつもりが逆に問われ、望美は口を滑らせたことに眉をひそめる。

「九郎さんも一緒なんですか?」
「ええ。君は……今は一人のようですね」
「…………」

これ以上口は滑らすまいと黙り込んだ望美に、くすりと微笑む。
平家の者が熊野に来ていることは分かっていた。
それが望美だったことには驚いたが。

「あ……」
「雨ですね。こちらへ」

降り出した雨に望美を誘い、軒下へ。
突然抱き寄せられ、望美がほんのり頬を染めた。

「三草山では見事でしたね。完全に裏をかかれました」
「…………」

先の三草山で、望美たちは偽の陣を作ってそこに弁慶たち本隊をおびき寄せ、その隙に後続部隊を討つという奇襲を行った。

「君は平家が怨霊を生み出していることをどう思っていますか?」
「それは……」
「怨霊と化したものの多くは意思を失い、敵味方……女子供の区別もできずに傷つける」

確かに弁慶の言う通り、敦盛や経正のように生前の人格を保つものはごくわずかだった。 それでも、倶利伽羅峠で多くの兵を失った平家が源氏に対抗するには、怨霊の力を借りざるをえなかった。 だから、怨霊を使役できる者に、怨霊が無益に人を傷つけないようにする指示を与えていたが、それで許される行為ではないことは重々承知していた。

「君は怨霊を封印する力を持ちながら怨霊を作りだす平家に与する。不思議で……そしてそれ以上に危険な人。僕は君を知りたい」
「弁慶さんは何のために戦っているんですか?」

前の時空で、容赦なく平家を追い詰めた冷酷な軍師。
けれども五条では、貧しい町民を無償で診る優しい薬師で。
どちらが彼の真実の姿なのか、望美にはわからなかった。

「僕は戦をなくしたい。だから源氏と行動を共にしているんです」

それは春、京で会った時に言っていた。

「君も荒れた京の様子を見たでしょう? 京は千年もの間ずっと龍神の加護によって守られてきました。京にそれを与えたのは龍神の神子です」
「龍神の神子……?」
「ええ。今より百年前、京の人々は鬼と争っていました。その時、鬼が招いた百鬼夜行を当時の神子が龍神を召喚し、祓ったそうです」
「…………」
「今までずっと、龍神の神子は京の危機を守ってきました。この時代の京の危機を、龍神の神子として救ってもらえませんか?」

弁慶の乞いに、望美はきゅっと唇をかみしめた。
怨霊は龍神の力の源である五行を乱し、その力を損なわせる。
望美の元にやってきた白龍も、五行が乱れているからこそ、新たに生じても十分な力を得ることができず、幼児の姿をとっていた。 龍神の加護が得られないことが京を衰退させているのだとしたら、それはいかなる理由があろうとも怨霊を生じさせることを止めない望美にも責があった。

「和議を結んで平家が追われることのない平穏をつかんだら……その時は私がすべての怨霊を封印します」
「君は……気高い人ですね」

自ら剣をとり、戦場に立つ――望む未来を手に入れるために。
そのまっすぐな瞳は、弁慶には眩かった。

「私はそんなすごい人間じゃないですよ」

すべてが炎に包まれた、あの日の痛みを忘れたことはない。 それでも、同じような痛みを源氏に与えたいとは思えなかった。滅ぼすのではなく、互いに傷つけあわずに済む道――それが和議だった。

「和議を結ぶのは容易なことではありませんよ」
「わかってます。それでも、結ぶんです」

揺らぎない決意を宿して見つめると、微笑みを絶やさなかった弁慶の表情が変わった。

「君は……不思議な人ですね」
「え?」
「いいえ。具体的な策はあるのですか?」
「まだないです。だから弁慶さんの知恵を貸してください」

素直すぎる願いに、弁慶は苦笑する。
弁慶を源氏の軍師と知りながらその知恵を求める。
愚鈍なのか、それとも――。

「あ……」
「雨が上がりましたね」

いつの間にかやんだ雨に空を見上げると、すっと弁慶が耳元で囁く。

「互いの望むものを手に入れるために……手を結びましょう」

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