平家の神子

弁慶4、意外な顔

譲との待ち合わせ場所である下鴨神社へ向かう途中、五条大橋を通りかかった望美は橋下の喧騒に身を乗り出し覗きこんだ。

「人がいっぱい集まってるみたいだけど、どうしたんだろ?」
「おや、あんた知らんのかい? お医者様が戻ってらしてるのさ」
「お医者様?」
「大層腕利きのお医者様でねえ。そのうえ貧しいものからはお金を取らない優しい方なんじゃ」
「へえ」

見渡す五条界隈は荒れ果てていて、住む人々の貧しさが窺い知れた。
そんな彼らが高価な薬など買えるわけもなく、無償で診てくれるという医者はどれほどありがたい存在だろう。 興味がわいた望美は、出会ったおばあさんと一緒に医者がいるという粗末な小屋を訪れた。

「足の具合は良くなりましたか?」
「ええ、ええ。弁慶先生のおかげですっかり良くなりました」
「弁慶先生?」

治療を受けていた人の声に驚き覗きこむと、そこにいたのは源氏の軍師・弁慶。

「弁慶先生は昔、ここでお医者様をなさってたのさ。じゃが戦が始まってから京を離れてしまってな」
「弁慶さんがお医者さん……」

初めて聞いた話に、望美はもう一度弁慶を見つめた。
微笑み、患者を診るその姿は、望美の知らない一面だった。

 * *

薬を配り終え、小屋に集まっていた人がいなくなった頃、ようやく望美に気づいた弁慶はにこりと微笑んだ。

「京に来ていたんですね」
「どうしてここで診療を?」
「僕は薬師ですから」

弁慶の返答に、望美は複雑な顔で口をつぐむ。
確かに弁慶には医学の心得があった。
けれど、彼の本業は源氏の軍師のはず。

「僕が町民を診るのは不思議ですか?」
「不思議というか……」
「君は素直な人ですね」

そのまま疑問が顔に表れている望美に、弁慶はふふっと微笑み小屋の外へ出た。

「この界隈もずいぶんと変わりました。昔は粗末ながらも、活気のある場所だったんですよ」
「ここに活気が……? 今の姿からは想像つかないです」
「これも、京から龍神の加護が失われてしまったからでしょうね」
「龍神の加護……白龍が力を失ったから、京が荒れているんですか?」
「少し違いますね。この京を見守っていたのは、正確には応龍という神でした。その応龍の一つの側面が白龍。反対の側面が黒龍と呼ばれる龍神なのです」

弁慶の話に、望美は朔の話していた黒龍と、傍らにいた幼い白龍を思い出す。

「京は応龍――まったき龍神の守りの元で、数百年の栄華を極めた。しかし今、応龍は存在しない。加護を失った京は次第に廃れていくのかもしれません」
「この都が廃れてしまう……」
「そうならないためにも、手を尽くさなくてはなりません。失われた応龍を、再び……」
「どうすれば応龍を取り戻せるんですか?」
「龍神の力の源は五行。五行から怨霊が生み出される限り、応龍が蘇ることはありません」

弁慶は一度目をつむると、望美を振り返り微笑んだ。

「取引をしませんか?」
「取引……?」
「ええ」

突然の申し出に驚く望美に、弁慶は穏やかに微笑む。

「怨霊を封じ、浄化する力は白龍の神子だけが持つもの。応龍を蘇らせるには君の力が必要なんです」
「…………」
「君は源氏の中に協力者を、僕は封印の力を。悪い取引ではないでしょう?」
「……弁慶さんの望みは何ですか?」

望美自身、源氏の中に協力者は必要だと思っていた。けれども弁慶は軍師……安易にその手を取ることはできなかった。

「君と同じですよ。僕は戦を終わらせたいんです」

弁慶の願いは、失われた加護を再び取り戻すこと。
それをかなえるためには、望美の力が必要だった。

「戦を終わらせることができるのなら、源氏と平家どちらが勝ってもかまわないんですよ」
「……源氏の軍師なのに源氏が負けてもいいんですか?」
「先程言ったでしょう? 僕の望みは戦を早く終わらせることなんです」

琥珀の瞳に宿る光。 弁慶の真意を見極めようと、望美はただ黙って彼を見つめた。

「そんなに見つめられると照れますね」
「あ……ご、ごめんなさいっ」
「ふふ、可愛らしいお嬢さんに見つめられるなんて嬉しいですよ」

先程までの空気とがらりと変わった弁慶の掴みどころのなさに、望美はふうとため息をついた。

「どうしました?」
「やっぱり弁慶さんだなって思って」

呟いてから、慌てて口を閉じる。

「……君は不思議な人ですね。まるで以前から見知っているように話す」
「…………」

共に行動していたのは遡る前の時空。
この時空で望美が弁慶に会ったのは、二度だけだった。

「私、もう行きますね」
「望美さん」

身を翻した望美は、呼びかけに足を止めると弁慶を振り返った。

「また、会いましょう」
「………はい」

それは以前、望美が口にした言葉。 含みのある笑みに、一瞬躊躇った後に頷く。 和議を結ぶためには、源氏とも手を結ばなければならないのだから。

「平家の神子……僕は君が欲しい」

走り去った少女を思い浮かべ呟くと、弁慶も歩き出す。
長き贖罪の道を―――。

→次の話を読む
Index menu