平家の神子

弁慶10、エピローグ

「終わりましたね」
「弁慶さん」

穏やかな声に振り返った望美は、剣をしまうとまっすぐに向きなおった。

「弁慶さんは知っていたんですか? 政子さんに神が降りていたことを」
「ええ。鎌倉殿が信仰している隠れ里稲荷の神。それが茶吉尼天です」

異国の神・茶吉尼天。政子の身に降りた神が茶吉尼天であることを突き止めた弁慶は、その力に対抗するため大黒天の真言を用意していた。

「――望美。弁慶から離れろ」
「将臣くん?」
「こいつは最後で俺たちを裏切った。……始めから黒龍の逆鱗が狙いだったんだろう?」
「……ええ」

険しい顔で問う将臣に、弁慶は表情を崩さず認めた。

「清盛殿は生前、福原への遷都をかなえるために龍脈に呪詛の種を埋め込み、龍神を操ろうとしました。その忌むべき所業によって龍脈は穢され、京の都は静かに荒れ始めていった」

弁慶の告白、それは望美達が知らない清盛の罪だった。

「僕はその呪詛を逆に応龍を滅するものへと変えて、清盛殿の野望を崩しました。けれども、彼は黒龍が滅ぶ直前に手元に呼んで、その逆鱗を手にしたのです」
「…………」
「五行が正しく巡っていれば、龍神は再び生じる。けれども、清盛殿が黒龍を逆鱗に縛り続けている限り蘇ることはない。だから、僕は君に近づいたんです」
「私を介して清盛に近づくため……ですか?」
「ええ」

弁慶の肯定に、望美はきゅっと唇を噛む。

「源氏にいた僕が清盛殿の信頼を得るのは難しい。けれども君ならば……平家の神子である君ならば、黒龍の逆鱗を奪い壊すきっかけを作れると思ったんです」
「……やはり、な」
「憎んでも構いません。……僕は君を裏切ったのだから」
「……憎めるわけ、ないじゃないですか」
「望美さん?」

俯き話を聞いていた望美は、顔を上げるとまっすぐに弁慶を見つめた。

「源氏も平家も裏切ったあなたがいる場所は、この世界にはないですよね?」
「そうですね」
「だったら……私の世界に来てください」

望美の要求に、弁慶が驚き目を瞠る。

「この世界の誰もがあなたを許さないのなら……私が許します。だから一緒に行きましょう」

差し出された手。その手に重ねた瞬間、辺りが眩く輝いた。

 * *

「弁慶さん!」

望美の呼びかけに振り返ると、こちらに駆けて来る姿が目に入る。

「そんなに急いでは危ないですよ」
「……きゃあっ!」
「望美さん!」

転びかけた彼女を急ぎ抱きとめると、照れくさそうに望美が笑う。

「君はいけない人ですね」
「ご、ごめんなさい」
「……だから目が離せない」

弁慶の呟きに顔を上げると、真剣な光を宿した琥珀の瞳に捕らわれる。

「君はどうして僕を許したんですか?」
「……弁慶さんは一人で罪を償おうとしたんですよね? 失った京への加護を取り戻すために」

弁慶の裏切り、それはあの世界に応龍を蘇らせるため。
荒れた京に再び加護を取り戻すためだった。

「僕は自分の望みを叶えるために君を利用しました。そのために君の大切な平家から清盛殿を失わせた」
「清盛のことは……弁慶さんのせいじゃないです」

清盛を飲み込んだのは、政子に宿っていた茶吉尼天。
かの神を祓った際、清盛もまたこの世から消えてしまった。

「いいえ。あの時、僕が黒龍の逆鱗を壊したことで、清盛殿は茶吉尼天に対抗する力を失いました」
「弁慶さん」

なおも言い募る弁慶の言葉をさえぎると、望美は遠い空を見上げる。

「前に私が約束したのを覚えてますか?」
「君と、ですか?」
「はい」

望美の言葉に、弁慶は自分の記憶を呼び起こす。

「和議を結んで平家が追われることのない平穏をつかんだら……その時は私がすべての怨霊を封印する。そう、弁慶さんに約束したんです」

死した命を怨霊として甦らせ、使役する。それは理を崩す許されざる行為。
白龍に選ばれた望美が与えられた力は、五行を正し、怨霊を龍脈へと還すもの。
その力を自分の望む未来のためにふるわず、あまつさえ理を崩す行為に加担していた。

「弁慶さんが許されないなら、私だって許されない罪を犯しました」

あの世界に召喚された意味を成さず、自分の望む未来を紡ぐために逆鱗の力を使う。
それは神子であっても、人でしかない望美に許されるものではない。

「だから、私に弁慶さんを裁ける権利なんてないんです」
「……それでも君は後悔しないのですね」
「はい」

逆鱗の力を使い、神子の役目を果たさず、運命を歪めさせたこと。
それでも、そのことを後悔はしない。
平家を……大切な彼らを守ると決めたから。

「だから、私は私の犯した罪をずっと背負い続けます。それは弁慶さんも同じでしょう?」

たとえ京に再び応龍の加護が戻っても、弁慶が京の人々を苦しませた罪は消えはしない。
望美と共にいることは、同じ罪を背負うもの同士の傷の舐め合いなのかもしれない。
それでも。

「君が僕を必要としてくれる限り、傍に居続けると誓います」

それを彼女が望むならば。
誓い見つめると、清らかな微笑みが向けられた。

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