経正と大原に行った日から、望美は神子の存在を改めて認識した。
皆を恐れさせる怨霊を封印することのできる唯一の力を持つ龍神の神子。
その力を高めるために、剣を習い始めた。
『お前が断つのは葉にあらず。お前は己の剣の夢を見るか。己が振るう力の夢を』
いつだか、リズヴァーンと名乗った金の髪の男の言葉が、胸に蘇る。
神子だから人々を守りたい……そんな大それたことを考えたわけじゃない。
ただ、自分にとって大切な人を守る力があるのなら。
目の前で傷つけられたり、苦しむことのないようにできるのなら。
そう決意を新たに、鍛錬に励む。
「神子殿。少し休みませんか? 一度に覚えようと励みすぎるのもよくはありません」
「そう、だね……」
はあ、と乱れてきた呼吸に刀を鞘にしまうと、どっと疲労が腕にのしかかる。
刀を持つことに慣れていない望美は、まずそれだけでもひどく疲労した。
「この重さに慣れないと、まともに振るうことなんてできないな」
「か弱い女性が重いと感じられるのは当然ですよ」
「でも決めたから」
神子の力を強めるためには怨霊を封じることが必要で、そのためには怨霊を弱らせなければならない。
そのために、剣の腕が必要なのだ。
「つまらんな……」
不意の声に振り向けば、そこにいたのは重衝の兄・知盛。
「兄上、いらしていたのですか」
「いきなりなに?」
「お前の剣は肉を断つことを知らぬ剣……ただの手習いだ」
「そんなの……」
「ふぬけた剣では何も得られはしまい」
クッと嘲るような笑いに、望美がキッと睨み上げる。
「人を切ることがいいなんて思わない」
「綺麗事だな……」
「な……っ」
「お前は目の前に刀を振りかざす敵が現れても、今のご託を並べ切られるのか? それこそ愚か者の極みだ……」
命の遣り取りをしたことのないものの戯言……望美の言うことは知盛にはそうとしか思えなかった。
「不用意な怪我を負いたくなければ、邸の奥でおとなしくしていることだ……神子殿」
皮肉気に告げられた『神子』の名に、望美はムッと眉をつりあげた。
* *
「――わっ……と。なんだ、望美か」
「将臣くん」
ちょうど曲がるところで出くわし、鼻を打ちかけた望美を、将臣がとっさに抱きとめた。
「なんだ? 何イライラしてんだよ?」
「………」
ぶすっとした幼馴染の様子に、将臣が宥めるように頭を撫でた。
「ほら」
「なに? ……あ、お菓子?」
手渡されたものを見て、望美が将臣を仰ぐ。
「経正と出かけた先でもらったんだよ。それでも食って機嫌直せよ?」
望美の宥め方を熟知している将臣に、少々複雑な想いを抱えつつ口に運んだ。
「……! 甘い! 美味しいっ」
ぱあっと顔を輝かせた望美に、将臣が苦笑する。
「……なんか馬鹿にしてない?」
「してない、してない」
否定されるも、納得は出来ず。
手元の菓子を半分に折ると、一方を将臣に差し出した。
「はんぶんこ。これで意地汚いって言わせないよ」
「いわねーって、んなこと」
笑う将臣の口に無理やり菓子を放り込むと、望美は満足そうに微笑んだ。
「ね? 美味しいでしょ?」
「確かにうまいな。菓子なんて久しぶりだからな」
望美たちのいた世界と違い、菓子はこの世界では高級なもので、そうそう口に出来るものではなかった。
「――将臣くん、無理してない?」
「んあ?」
ごくん、と菓子を飲み込んだ将臣が、目で問う。
「色々平家の人たちと動いてるんでしょ?」
「あ~……ただ飯食らってるのは、性にあわねーしな」
神子と崇められている望美同様、将臣も客人として丁寧な扱いを受けていたが、それをただ甘受するような将臣ではなく、自分から率先して動くようになっていた。
「危ないことはしないでよ」
「分かってるって」
笑いながら頭を撫でる幼馴染に、知盛の声がよみがえる。
『お前の剣は肉を断つことを知らぬ剣……ただの手習いだ』
「将臣くんは人を切ったこと……」
「あ?」
「……ううん。なんでもない」
人を切ったことがあるか? そんな問い、聞く方がおかしい。
そもそも望美たちがいた日本では、剣を持つことすら許されてはいなかったのだから。
「一人で先に行かないで」
口をついた言葉に、将臣が驚いたように望美を見る。
「望美?」
「将臣くんはいつも一人でいっちゃうから」
幼い頃はいつもいっしょだったのに、高校に上がった頃には会う機会がぐっと減っていた。
自然下がった視線に、ぐしゃぐしゃと乱雑に頭を撫でられた。
「おいてったりしねえよ。言ったろ? 一緒に背負ってやるって」
「将臣くん……」
「まあ、お前に大人しく……なんて言うのが、土台無理な話だもんな」
「どういう意味よ」
他愛無いやり取りに、心のこわばりが解けていく。将臣が傍にいることに、今更ながら望美は感謝した。
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