平家の神子

10、雨乞いの儀

降るはずの雨が降らなかった梅雨を過ぎ、深刻な飢饉に見舞われている京に、後白河法皇が雨乞いの儀を催すことになった。

「あそこで舞を舞うんですか?」
「ええ。院が召された白拍子達が、龍神へ舞を奉納するんです」

経正の答えに、望美はふぅんと頷き、視線を舞台へと移す。

「神子様が舞われれば、きっと龍神はすぐにでも姿を現してくれるのでしょうね」
「む、無理ですよっ! 舞なんか舞ったことないもんっ!」

重衝の言葉にぶんぶんと首を大きく振ると、敦盛が控えめに口を開く。

「もしも神子が舞に興味があるのなら、重衝殿に教えてもらえばよいのではないだろうか?」
「え? 重衝さんに?」
「ああ。重衝殿と知盛殿は、一門の中でも優れた舞い手。神子ならきっと覚えられるだろう」
「う~ん……」

敦盛の言葉に重衝を見ると、にこりと微笑み返された。

「重衝さん、今度教えてもらってもいい?」
「ええ、もちろん。神子様のご所望ならば、喜んでお教え致しますよ。手取り足取り、ね」
「神子殿の清らかさを損なわぬよう、お願い致しますよ」

ちくりと苦言を呈す経正に、重衝が扇の下で微笑む。
―――と、高らかな始まりを知らせる太鼓が響き、順に女たちが舞い始めた。
一人、二人と舞うが、空は相変わらずの晴天。

「雨……降りませんね」
「これで降れば喜ばしいのでしょうけどね」

苦笑を浮かべる経正に、これがたんなるセレモニーなのだと知るが、次々と舞う白拍子に反し雨雲一つない空に、段々と後白河法皇の顔が険しくなってきた。

「ええい、ろくな舞い手がおらんの。誰ぞ、他の舞い手はおらんのか?」
「お、お待ち下さい。最後の舞い手は、多くの者を虜にしたと言う、確かなる舞い手。どうぞこの者を……」
「なに? それは面白そうだの。では、見させてもらおう」

何とか機嫌を戻した後白河法皇に、側近のものがホッと胸を撫で下ろすと、最後の舞い手を舞台へと促した。 緊迫した空気の中、舞台の中央に立った白拍子は、おもむろに扇を広げると、静かに舞い始めた。

「綺麗……」
「これは……見事ですね」
「ああ」

望美の感嘆に、経正・敦盛・重衝も同意する。
舞台で舞い続ける女は、大変美しい相貌の持ち主で、舞の腕も群を抜いていた。

(綺麗だなぁ。私もあんなふうに舞えたら素敵だろうな……)

白拍子を見つめながら、そんなことを思っていると、舞を終えた女は静かに頭をたれた。
美しい舞に見惚れていた場から、一斉に歓声が沸きあがる。

「うむ。見事であった! しかし……」

空を見上げた法皇は、眉を潜め嘆息する。
あれほど美しい舞にもかかわらず、空に雨の予兆はまるでなかった。

「ええい! どいつもこいつも役にたたんのう!」

法皇の苛立ちは、最後の舞い手にぶつけられ。
引っ立てられそうになった白拍子に、望美は慌てて席を立った。

「神子殿?」
「誰か彼女を助けてあげて! 雨が降らないのは、彼女のせいでもなんでもないじゃないっ!」

悲痛な叫びに、しかし経正は顔を曇らせ、首を横へ振った。

「……神子殿のお気持ちは分かります。しかし、院に逆らうことは何人たりともできません」
「そんな……っ!」

あまりにも倣岸な法皇の振る舞いに、望美は舞台の上で縄で縛られようとしている白拍子を見ると、ぎゅっと目を瞑り、必死に祈った。

(お願い……私が龍神の神子だというのなら、どうか雨を降らせて。彼女を助けて……!)

一心に祈りを捧げた瞬間、空が黄金色に輝いたかと思うと、空から雨が降り落ちてきた。

「おお……! 雨だ! 雨が降ってきたぞっ!」
「あの舞い手の舞が、龍神様に届いたんだっ!」

歓喜に沸く場に、法皇は捕縛を撤回すると、先程までの剣幕が嘘のように扇を広げ、白拍子を褒め称えた。

「あい、見事であった! お主は龍神に舞を認められた。よって、これからは私の傍に仕えるものとする」

法皇の言葉に、女は無言で頭をたれる。
その様子に、望美はホッと胸を撫で下ろした。

「よかった~。あの人、助かったんだね」
「ええ。神子様のおかげですね」
「? 私は何もしてないよ?」
「神子様は先程、龍神に乞われたのでしょう? 雨を降らせ、あの娘を助けて欲しい――と」

すっかり見抜いている重衝に、望美は困ったように眉を下げた。

「……確かに願ったけど、雨が降ったのは偶然かもしれないよ」
「いいえ。龍神が己の神子の願いを叶えたんです」

頑として引かない重衝に、経正をみるも、同じく同意を示され困り果てる。
と、不意に視界に紅の影がよぎった。
それは一瞬のことで、もう一度目を凝らした時には、そこには誰もおらず。

「? 気のせいかな……」

呟くと、経正たちに促されて、望美は西八条の邸へと戻って行った。
それを静かに見送る紅の影に気づかずに。

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