平家の神子

35、運命を変える

逆鱗の光に委ねた瞬間、身体を巡る感覚が軽くなる。
と、すさまじい力の渦が身を襲った。
ここはあの始まりの日と同じ、時空の狭間。
意思をも覆さんとする強き力に、しかし望美は必死に抗う。

「流されない! 私は行くの……あの時空へ!!」

脳裏に浮かぶ大切な人たちの姿。
強い決意を露わにした瞬間、望美は奔流にのまれた。

* *

「ん、んん……」

冷たい風が頬を撫でる。
手に触れる、固い大地に、はっと身を起こした。
辺りを見渡すと、そこは見覚えのある神社。

「……ここは」

確かめるように歩きまわる。
ここは本当に福原なの?
私は時空を遡れたの?
戸惑う望美の耳に届いたのは、あの日と同じ奇怪な叫び声。
鎧を纏った骸骨の姿をした怨霊が朔達に襲いかかっていた。

「う、うわあああああ!」
「危ない、逃げて!」

腰を抜かしている武士の前に出ようとした瞬間、横から石が飛んでくる。
石は怨霊の腕にあたり、落ちた刀を拾い上げた将臣がすかさず袈裟がけに斬る。

「望美、無事だな!?」
「将臣くん! 私は、大丈夫だけど……」

陰の気が集まって、将臣が倒した怨霊が再び生じる。

「やっぱり封印しないとダメなんだ。……朔、手伝って!」
「封じる? あなたは……まさか……いいえ、きっとそうなのね」

決意を宿した瞳に頷いて、何度も口にしてきた封印の言葉を口にする。

「めぐれ、天の声」
「――響け、地の声!」
「かのものを封ぜよ!」

望美と朔の斉唱に合わせて放たれた光が怨霊を包み込み、浄化した。

「……化け物が、消えた…? おいおいおい、何がどうなってるんだよ。ったく――おい、あんたも大丈夫か?」
「あ、ああ。かたじけない……」
「封印の力……怨霊を封じる力。業から解き放つ浄化の力……あなたは白龍の神子なの? ――私の対、なの?」
「うん、そうだよ。私、白龍に力を借りてる神子なんだ」
「よかった。きっとそうだと思ったわ。私は朔、梶原朔というの」
「私は春日望美。こっちは幼馴染の将臣くんだよ」
「よろしく、ってのも変なもんだな」
「二人はどうしてこんなところに?」
「どうしてって……」

朔の問いに将臣が口ごもる。
彼自身、何が起こったのかわからないのである。

「朔はどうしてここにきたの?」
「私は……連れの具合が悪くなったので、神水を頂こうと思ったの」
「そうだったんだ」

答える朔の髪は長い。
この頃はまだ長かったんだ、とつきりと胸の奥が痛んだ。

「もう少し話していたいのだけれど、人を待たせているの。もしも困っていたら、鎌倉の『梶原』を訪ねて来て。あなたたちならいつでも歓迎するわ」
「うん。ありがとう、朔」

気さくに微笑む朔に、望美は二人を見送った。
そうしてあの時と同じく怨霊に追われ、逃げ込んだ清盛の邸。

「これも、何かの縁やもしれぬ。もし行くあてがないのなら、我の元へ来るがよい。歓迎するぞ。我は、浄海入道」
「俺は、有川だ。有川将臣。で、こっちにいるのが……」
「春日望美です」
「そうか。望美に、……将臣か」

こうして再び福原の清盛の元に身を寄せることとなった。

* *

清盛の邸に来てから数日。
望美は一人、濡れ縁にいた。

(今からなら、まだ……きっと変えられる。でもどうすれば……)

脳裏に蘇る、平家滅亡のあの日。
そして絶望の雨。

(どうしたら、どうしたらいいんだろう。このままじゃ、前と同じになっちゃうのに)

気持ちが焦るばかりで手段が見つからない。
時空跳躍をして、将臣と共に再び清盛に匿われた望美は、もどがしげに立ちあがった。
瞬間――。

「わっ!」
「……お前は……」

ぶつかったのは、一度目の時空の時と同じ知盛。
その射抜くような紫紺の瞳に、望美は息をのんだ。

(まさか知盛は、私を、知っているの?)

この時空では初めて会うはずの知盛。
だがその眼差しは、とても初対面の相手に向けられたものではなかった。

「……いい目だ。触れれば火傷だけではすまない……。俺を飲み込み、焼きつくす。死線を越えた者だけが持つ目だ……そうだろう?」
「何が言いたいの?」

知盛の言いたいことがわからず問うと、くぐもった笑みを浮かべる。

「……クッ、惜しいな。お前のような女には、違う場所で会いたかったぜ」
「それは、もしかして戦場のこと?」
「わかっているじゃないか。……つくづく、惜しい」
「知盛……」

以前のやり取りを思い出し、口ごもる望美に知盛が背を向け去っていく。
その背中に追いすがる懐かしい声。

「――兄上、お待ちください!」

振り返ると、そこには予想通り知盛の弟である重衝の姿。

「ああ、行ってしまわれた。――っ、あなたは……」

重衝は目を見開くと、おもむろに望美の手を取った。

「何と美しい方。宵闇の中にありながら優しく輝き、私の目を奪う……。あなたは、今宵の月が見せる幻なのでしょうか? それとも、月の都に住まうと言われるかの姫君……?」

すらすらと口から飛び出る口説き文句に、望美は乾いた笑いを浮かべた。

(重衝さん、相変わらずだな)

前に平家にいた頃も、度々彼のこうした言い回しに赤面させられていたことを思い出し、くすりと笑む。 しかし抱きすくめられたところで、さすがの望美も目を剥いた。

「いずれにせよ、姫、これが儚い夢ではないのだと教えてくださいませんか。どうか、今宵あなたに触れることを許してほしい……」
(え? ちょ、ちょっと待って! 触れるって……!?)
「そ……っ、そんなことよりお兄さんを追っていたんじゃないの!?」
「兄上を……?」

望美の言葉に、ああと頷くと微笑を浮かべた。

「ああ、わかりました。姫を恋うものに課せられる難きことならば、必ず果たしてみせましょう。ですが、姫。どうか、その時こそお覚悟を――」

そうして名残惜しげに望美の手を離すと、しっかり甘い囁きを残し立ち去っていく。

「私、何考えてたんだっけ? ……だめだ、全然思い出せない」

知盛・重衝兄弟とのあまりにも強烈な再会に、望美は頭を抱えるとはぁ~とため息を漏らした。 と、またしても足音が耳に届く。
思わず身構えた望美に、渡殿を歩いてきた敦盛は躊躇いがちに声をかけてきた。

「あなたが叔父上の仰っていた方だろうか?」
「あ、はい。こちらにお世話になっている春日望美です」

ぺこりと頭を下げると、敦盛はホッとしたように肩をおろす。

「もうすぐ、月見の宴が始まる。みな、集まるようにと叔父上が。知盛殿と、重衝殿は先程帰られたようだったが……」
「あ、はい。さっき、すれ違いました」
「そうか。もう一人の客人もすでにあちらに。あなたも、叔父上がお待ちだ。……今宵は美しい月夜。月見の宴にはいい夜だと思う。叔父上はきっとあなたに、見せたいのではないだろうか」
「私に?」
「いや、確信があるわけではない。ただ、そう思っただけだ。……行こう」

敦盛に促され、望美は宴の席へと向かった。

* *

「……本当、綺麗」
「ああ、そうだな」

雲ひとつない空に浮かんだ十六夜の月に感嘆を洩らす。
後ろでは、敦盛や彼の兄である経正を始めとした平家の人々が楽を奏でていた。
平穏な一時。
こんな時があったんだと思いだし、望美がぎゅっと胸を押さえる。
運命と呼ばれる大きな流れ――それはどうしたら変えられるのだろう?

「……なに、深刻そうな顔してるんだ」
「え?」

知らず俯いていた望美の頭を、将臣が抱き寄せた。

「今くらい肩の荷下ろしてもいいんじゃないか?」
「将臣くん……」
「明日になったらまた背負やいいさ。俺も一緒に背負ってやるからさ。お前は……ひとりじゃないんだ」
「……うん」

優しく微笑む将臣に、目を閉じ頷く。
今はどうやったらあの滅びの運命を変えられるのかわからない。
だけど、私は変えると決めたから。
衣の中、淡く輝く逆鱗を握りしめて、望美は十六夜の月を見上げた。

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