平家の神子

31、選ぶ道、望む未来

「やあ、姫君。熊野の旅は楽しかったかい?」
「ヒノエくん」
「頭領に会いに来たんだろ? 案内してやるからついといでよ」

すっと先導に立つヒノエに、気を引き締めた九郎が、その後に景時・弁慶が続いていく。
と、その場に立ち止まったままの望美に、ヒノエが肩越しに振り返った。

「望美? 何してるんだい?」
「え? 頭領にお話があるのは九郎さんだから、私はここで待ってようかなぁって」
「頭領は白龍の神子に一目ぼれした、なんて噂があるぐらいだし、お前がいる方が交渉がうまくいくかもしれないよ?」
「ええっ!?」

驚き頬を染めると、それならいた方がいいだろうと九郎にも促され、仕方なく望美もその後に続いた。

* *

「――事情はわかった。だが、返事をする前に聞かねばならん事がある。この戦、源氏は勝てるのか?」
「陸の戦に長けた源氏と、強大な水軍を擁する熊野――この二つが手を組めば、平家を打倒できる」
「……烏たちの報告だと、状況は源氏に不利なんだよね」
「烏?」
「間者のことですよ。熊野では、そう呼ぶんです」
「烏たちの報告をもとに考えると――熊野の助けがあったとしても、たぶん源氏は勝てないよ」
「なんだって!?」
「九郎、静かに。どうか落ち着いて下さい」
「三草山でも平家に打ち勝った源氏の、どこが勝てないというんだ!?」
「確かに源氏は勝利した。けれど、これからさらに平家は怨霊を投下するだろう。不死の軍団にどう対抗できるんだい?」
「それは……っ!」

きっぱりと言い切られ、九郎がぎりぎりと歯噛みする。
源氏の軍を任されている九郎にとっては、耐え難い屈辱だった。

「熊野は源氏にも、平家にも加担しない。今まで通り、中立を守るよ。今日は宿を用意させたから泊まっていくといい。熊野は旅人を歓迎するからね」

ヒノエの言葉に大きく頷く頭領に、交渉は失敗に終わったことを悟った。

* *

「ちょっといいかい?」

ヒノエに呼び止められた望美は、彼に連れられ外へ出た。

「あんたはどうしたいんだい? 神子姫様」
「どうって……」
「あんたがこのまま源氏と行動を共にすれば、いずれ平家と相見える時が来るだろう。その時、あんたは彼らと戦えるのかい?」

惑いをつきつけられ、望美はきゅっと唇を結ぶ。

「風は源氏へと吹き始めている。だけど、不死の兵を持つ平家を討つには決め手に欠ける。その最後の切り札が神子姫様――あんただよ」
「………!!」
「今の平家の兵は、ほとんどが怨霊。それらを封じてしまえば平家に残されているのは滅び、だろうね」

淡々と並べられていく現実が、望美の胸をえぐる。

「あんたはどうしたい? ――平家の滅びを望むのかい?」
「そんなわけないっ!」

言い返し、ぎゅっと拳を握りしめた。

「彼らはただ、必死に生きようとしてるだけなんだよ……っ」
「他者を傷つけても自分の一門だけを守って?」
「…………っ!!」

射抜くような強い深紅の瞳に、望美は言い返せずに唇をかむ。

「平家を大切に思っているなら、どうして源氏と行動を共にするんだい? 白龍の神子の博愛精神? それとも自分の世界に帰るため?」
「私は……っ」
「――そのぐらいにしておきなさい、ヒノエ」

割り込んできた第三の声に反射的に振り返る。

「源氏に都合の悪いことは言うなって?」
「これ以上、彼女を惑わすなと言っているんです」

庇うように間に立った弁慶に、ヒノエは肩をすくめ身を翻す。

「惑ってる時間はないぜ? 神子姫様。源氏と平家、二者の争いの鍵はあんたなんだからな」

肩越しに振り返り告げると、ヒノエはその場を後にした。

「――平家に戻りますか?」

弁慶の言葉にはっと顔をあげると、外套を引き寄せながら望美に微笑む。

「もっとも、一度彼らの元を出て源氏と行動を共にしていた君を、彼らが受け入れるとは思えませんけどね」
「…………っ」
「ねえ、望美さん。君は白龍の神子――理が崩れたこの世界を救うために喚ばれた龍神の神子なのでしょう? ならば自分が何を為すべきか……わかっていますよね?」

男にしては繊細な指が、つ……顎を持ち上げる。
そうしてまるで口づけでもしようかと言うほどに寄せられた美麗な顔が、まっすぐに望美を見つめた。 唇は笑みを象っているのに、琥珀の瞳は恐ろしいほど冷やかで。 背中をつう、っと冷や汗が流れる。

「惑うことはありません。君は僕たちと共にいればいいんですよ。そうすれば君も譲くんも将臣くんも、元の世界に帰れるのですから」

幼馴染の名前に望美が顔を強張らせると、弁慶は柔らかく微笑み身を離す。
元の世界に戻ることを望まないわけではない。
譲がそれを望んでいることは分かっていた。
力を失い、人の姿でいる白龍を元に戻してあげたいとも思う。
だけどそれら全てが平家の滅亡へと繋がっていた。

「――和議の話があるそうですよ」
「え?」
「長きにわたる両家の諍いを収めよと、後白河院が双方に和議の話を持ち出したんです。もしかしたら君の願いがかなうかもしれませんね?」

ふっと微笑むと、弁慶は宿の中へと消えていく。

「和議? 本当に源氏と平家が和議を結ぶの?」

今まで幾度となく争ってきた源氏と平家。
和議が結ばれればもう、争うことはなくなる。
平家が追われることもなくなるだろう。
けれども……。

「本当に和議は成るの?」

怨霊と化してまで復活した清盛と、執拗に平家を追いたててきた頼朝。
両家が歩み寄ることなど果たしてできるのだろうか?

「望美? そこにいたのか」
「将臣くん」
「どうしたんですか?」

望美は駆け寄ると、幼馴染の二人を見つめた。

「ねえ、私達の世界ではこの後源氏と平家の争いってどうなるの?」
「確かこの後も一ノ谷などで戦を繰り返し、最終的に壇ノ浦で平家が敗北するんじゃないでしょうか」
「平家が敗北……」

譲の言葉に俯くと、ぐっと二人を引き寄せた。

「将臣くんと譲くんにお願いがあるの」
「なんだよ? 急に」
「先輩?」
「――源氏から離れるよ」

目を見開いた二人に、望美は真剣な表情で続ける。

「私はどうしても平家を滅ぼさせたくない。だから、このままここにいるわけにはいかないの」

ヒノエは言った。
怨霊を封じる力を持つ白龍の神子である自分は、この戦の鍵となると。

「離れるって……その後どうするつもりだよ? まさか平家に戻るつもりか?」
「それは……」
「させませんよ」

望美の声に重なった冷やかな声。
に、三人は弾かれたように振り返った。

「言ったでしょう? 平家に戻るのならば命の保証はできないと。君を平家に戻らせるわけにはいきません」

弁慶の後ろには兵の姿。
望美を庇いながら武器を構えた将臣と譲は、さっと辺りを見渡した。
ずっと見張られていたのだろう、三人は完全に取り囲まれていた。

「譲。俺が盾になるから、お前は何とか望美を連れ出せ」
「何を言ってるんだ! この軍勢に一人で敵うわけがないだろ!?」
「じゃあ、ここで三人討ち死ぬのか!?」
「………っ!!」

将臣の叱咤に譲が苦悩をにじませた瞬間、目の前に大きな影が現れた。

「私が隙を作る」
「先生っ!?」
「お前たちは逃げなさい」
「そんな……! 先生一人、戦わせるなんて……っ!」

大きな体躯で庇いながら、リズヴァーンが諭すように語りかける。

「自分が正しいと思った道を進むこと、違えることを恐れるな。――お前の心が、運命だ」

瞬間、姿が消えたかと思うと側面で悲鳴が上がる。

「行くぞっ!」
「…………っ」

崩れた陣形に、将臣は二人を促し駆け出す。

「危ない、神子!」
「敦盛さん!」

背に射かけられた矢を叩き落とした敦盛が、敵を防ごうと庇い立つ。

「行くんだ、神子」
「敦盛さんも一緒に行きましょう!」
「私はいい。……一門のこと、頼む」
「敦盛さん!」
「望美っ!!」

悲鳴を上げる望美の手を引き、将臣は森の中へと駆け出した。
どれほど駆けたことだろう、呼吸を荒く乱した三人はようやく足を止めた。

「追手はないようだな」
「リズ先生……敦盛さん……」

望美達を逃そうと、矢面に立った二人の姿に、望美の顔が悲痛に歪む。

「あいつらの想いを無駄にしないためにも、まずは生き延びるぞ。で、これからどうするつもりだ?」
「平家にこれ以上争うことを止めさせようと思う」
「そんなの清盛が受け入れるはずないだろ?」
「受け入れなくても。私はこのまま、平家が滅んでいくのを黙ってみていたくない!」

きっぱりと言い切った望美に、将臣は顔を引きしめた。
望美の想いは、将臣の願いでもあった。

「争いを止めさせるといっても、具体的にどうするつもりですか?」
「お前は平家に戻れないだろ?」

怨霊が跋扈する平家で、陽の気を持つ望美は穢れにあたり弱ってしまう。
それ故に、望美は平家を出ざるえなかったのだから。

「源氏の手の及ばない地に逃れさせるのはどうかな?」
「経正なら受け入れそうだが、忠度殿や惟盛は無理だろう。清盛だって京を追われるなんて絶対認めないぜ?」

脳裏に浮かぶのは、都から追い立てられ激昂していた清盛の姿。
今の平家の現状を不服とし、怨霊として甦った清盛が逃亡を選ぶとは望美も思えなかった。

「じゃあどうすればいいの? このままじゃ平家は滅んじゃうんだよっ!?」

歴史に疎い望美でさえも、源氏と平家の結末だけは知っていた。
追い立てられ、彷徨い、そして壇ノ浦で散った平家一門。
頭をよぎった知識に、胸の奥がぎゅうっと絞めつけられた。
と、ふと先程の弁慶との会話を思い出す。

「和議の話があるって弁慶さんが言ってた。それを実現できないかな?」
「和議? 本当にそんな話出てるのかよ」
「わからない。けれど、もし本当なら平家にとって生き残る最大のチャンスだと思わない?」
「……そうですね。各地でも源氏を支援する動きが見え始めていますし、このままでは史実通りに進む可能性が強いと思います」

譲の言葉に頷くと、望美は二人に向き直った。

「何とかして平家と接触しなきゃ。とりあえず福原に戻らなきゃいけないね」
「街道は源氏に見張られていると思ったほうがいいな。そうなると、遠回りになるが迂回していくしか…」

そうして将臣が考え込んでいると、あっ! と望美が呟く。

「そういえば熊野で知盛に会ったよ」
「知盛に? お前、いつの間に……」
「雨宿りした木に偶然知盛もいたの。どうも平家も熊野に協力を求めに来てたみたい」
「平家が熊野に……だったらまだ近くにいるんじゃないか?」

将臣の言葉に、望美が頷く。

「探そう! 知盛だったら和議の話も知ってるはず」
「ああ。福原へ潜入するよりそっちのが早い」

いうや行動を始めた望美達に、譲は慌ててその後を追った。

* *

「夜盗かと思ったら、神子殿に兄上か……」
「お前の方が年上のくせに、何が兄上だ」

剣を収めた知盛に、顔をしかめた将臣も刀を下ろす。
帰路を歩く知盛を見つけ、声をかけようとした瞬間振り下ろされた剣。
とっさに刀で受け止めた将臣に、その姿を認めると知盛はにやりと微笑んだ。

「……ったく。いきなり剣を抜きやがって。相変わらず物騒なやつだな」
「仕方あるまい。いつ狙われてもおかしくない身なんだからな……」

知盛の言葉に望美が顔を曇らせると、彼がゆっくりと視線を向けた。

「で? 平家を離れたお前達が俺に何の用だ?」
「源氏と和議の話が出てるって本当なの?」
「よく知ってるじゃないか。経正殿や忠度殿は喜んでいたが……」
「お前は裏がある、と思ってるんだな?」

じっと見つめる将臣に、知盛は鼻を鳴らすとふっと笑んだ。

「落ちぶれた平家と和議を結ぼうなどと、随分酔狂な話だと思わないか? しかも名代には頼朝の奥方がたつという」
「北条政子が?」

怨霊で対抗しているとはいえ、現状では源氏軍の方が優勢。
そんな中、わざわざ奥方を送り、和議を結ぼうとする頼朝の考えに疑問が湧く。

「知盛。私たちを一緒に連れていって」
「クックッ何をいまさら……。手を取り合って逃げたんじゃなかったのか?」

辛辣な言葉を浴びせながら、真意を見抜くように向けられた深紫の瞳をまっすぐに見つめ返す。 しばしの間の後、知盛が身を翻す。

「……ついてきたければ勝手にくればいい。沈みゆく船に乗りたいのならば、な」
「沈みゆく船になんかさせねえよ」
「沈みゆく船になんかさせない」

呻くような将臣の言葉と望美の言葉が重なると、知盛が鼻で笑いながら諾の意を返した。

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