平家の神子

28、天の朱雀

三草山から京に戻った九郎に届けられた頼朝の書状。
その指示に従い、望美たちは熊野へ足を運んでいた。
ようやく熊野の入り口に辿り着くと、他者の気配に声を荒げた譲に、周りの者が頭上を見上げる。
と、木から下りてきた少年は口笛を吹くと、望美の前に進み出た。

「あんたが噂の白龍の神子かい? 評判通り可愛いね。こんな花も恥じらう姫君を見たのは、俺も初めてだよ。ひょっとして月の光でできてるのかい? それとも、衣を通して光り輝いたっていう伝説の美女、衣通姫かな?」

流れるように次々と紡がれる美辞麗句に絶句していると、紅の髪の少年はおもむろに望美の手を取り、甲へと口づけた。

「初めまして。よろしく、姫君」
「わ、私は姫君なんかじゃないよ。望美っていうの」
「籠もよ、み籠持ち……この丘に菜摘ます児家聞かな、告らさね……。我こそは告らめ家をも名をも。知ってたかい? 自分の名前を相手に告げるってさ……昔は、相手に心を許すっていうのと同じ意味だったって」
「ふうん……えっ? ええっ!?」
「ふふっ、赤くなった。可愛いね」
「ヒノエ」

少年に翻弄されて望美が真っ赤になっていると、横から呆れたように弁慶が口をはさんだ。

「女の子を見つけるたび、後先考えず口説きだすのはやめたらどうですか」
「なんだ、あんたか。悪いが野郎は目に入んないんでね」
「すみません、望美さん。熊野の人間がみんなこうだなんて思わないでくださいね。敦盛くんだって熊野で育ったんですよ」
「あんたも自分のことを言わないだけ、自覚はあるんだな。で、敦盛? ――あれ、何隠れてんだ」
「……久しぶりだ。ヒノエ、変わらないな。隠れていたわけじゃない。……話しかける機会を逸しただけだ」
「可愛い女の子と旅? お前も結構すみにおけないじゃん」
「いや、あの……そうではない。そんなことを言っては神子に迷惑だろう。私は神子の八葉なんだ」

ヒノエの突っ込みに敦盛が照れていると、白龍がとてとてと歩み寄ってきた。

「ヒノエ、あなたも八葉だよ」
「えっ、俺?」
「うん、火の気をまとう離の八卦の八葉。ヒノエは、天の朱雀だね」
「おいおい、八葉ってあれだよな。龍神の神子を守るっていう……ちょっとまずいな、それ」
「もしかして、八葉になるのはいやなの?」

白龍の言葉に柳眉を寄せたヒノエを見る。

「気は進まないね。俺は無償の奉仕っての向いてないし。可愛い姫君との旅は魅力的だけどね。だけど、そうだな……しばらく熊野にいるんだろう? それなら俺の方から会いにくるよ。互いに知り合う時間ってのも必要だろ? 望美ちゃん、また会いに来るのを許してくれるかい?」
「う、うん」

勢いに押されて頷くと、口角がつり上げられる。

「そう、よかった。じゃあね」
「あっ!」
「心配ない。木の上に飛んだんだ」

現れた時と同様に唐突に姿を消したヒノエに、慣れているらしい敦盛がさらりと答える。

「やはり、一筋縄ではいかない相手ですね。けれど、ヒノエが八葉というのは好都合かもしれない」
「え? どういうことですか?」
「なんでもありません。よい熊野の道案内が出来たと思いますよ」

にこりと笑顔で言葉を濁した弁慶に、望美は首を傾げながらも本宮への道を進んでいった。

* *

思わぬ川の氾濫で海沿いの迂廻路を行くことになった一行は、日置峡で怨霊に襲われた。
崖下に投げ出された望美を追って飛び出した白龍が成長したことで、事なきを得た望美は見上げるほど長身の青年に変化した白龍を驚き見る。

「神子のおかげで天が近くなった。ありがとう、神子」
「白龍、どうして成長したのかわかりますか?」
「神子を助けようと思った。内から……光が溢れ……こうなってた」
「……今まで蓄えた龍神の力で、新しい姿を手に入れた……そういうことでしょうか。本来の力が戻りつつあるのでしょう」
「いいや、違う。私はまだ――」
「ええ。本来の力には、まだ遠く及ばないのでしょう。けれど、以前よりはずっと力が増しているのではありませんか? これも望美さんの努力が報われたということですね」

向けられた笑顔はいつものような作ったものではなくて。
弁慶が本当に喜んでいるのだとわかり、望美は戸惑いつつも頷いた。

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