平家の神子

22、源氏

無事、橋姫神社へ辿り着いた一行が胸を撫で下ろしていると、突然の怒声が響き渡った。

「そこの者! 何をしている!」

キッと厳しい顔で叱責するのは、一年前に清水寺で弁慶と共にいたオレンジの髪の青年・九郎だった。 瞬間、望美の身体から光の玉が飛び出し、彼の腕へと吸い込まれた。

(あれ? 光った。この人も八葉……だったりするのかな)

将臣、弁慶と龍の宝玉を身に宿す様を見た望美は、興味深く目の前に立つ九郎を見つめた。

「九郎。こちらは望美さんと将臣くん。朔殿の邸におられる譲殿の兄上です。こちらの仏頂面なのは――」
「名なら自分で名乗る。九郎だ。源九郎義経」
「なん……だって? 源義経!?」

九郎の名に、将臣と望美が瞠目する。

「将臣くん……」
「ああ。やっぱりこいつは……」

弁慶が危惧した通りの人物であったことに警戒を露わにする二人に、弁慶は胸の内の見えぬ笑顔を向けた。

「とにかく、ここは安全ではない。お前たちはもっと後方に下がっていろ」
「どうしてですか?」
「戦場がすぐ傍だからだ。この宇治川を制することが、京を手に入れられるかどうかの分かれ目になる」
「宇治川……九郎義経……木曽義仲の戦か」
「木曽……義仲?」

将臣の口にした名に、望美が顔を強張らせる。

「木曽とはほぼ決着はついたんだがな。平家が怨霊を使ってちょっかいを出してきているんだ。木曽が去る機会を狙って、京を取り返そうと言う魂胆だろう」
「………」
「俺はこれから平家の陣を攻める。……だが、お前たちだけで戻れと言うのも危険か」
「僕が彼女たちを送ります。こちらは任せましたよ」
「ああ、わかった」

頷く九郎に、望美たちも文句を言えず、弁慶と共に京の朔の邸を目指すことにした。

* *

「譲っ!」
「兄さん、なんて恰好してるんだよ」
「そういうお前だってそうだろ?」
「……ここはどこなんだ? 俺たちは学校にいたはずなのに」

戸惑う譲に、白龍はきょとんと首を振った。

「譲、ここは京だよ。時空の狭間に落ちて、狭間から抜けてきた。ここは時だけでなく、場所だけでなく、神子の時空とは違う、京」
「ちょ……ちょっと待ってくれ。時空ってなんだ? 京都でもないのか?」
「うん」

驚愕して問う譲に、白龍がこくんと頷く。

「やっぱり……ここは私たちの世界とは違ったんだ……」
「過去かと思ってたが、違う時空だって? 異世界ってことかよ」

俯く望美とため息をつく将臣に、譲が焦って二人に問う。

「どういうことだよ、兄さん!」
「……お前、どのくらい前からここにいる?」
「どのくらいって……二日前だよ。目が覚めたら河原にいて、朔が襲われてて……」
「そうだったんだ……」
「先輩と兄さんは違うんですか?」
「俺たちは三年前にこの世界にやってきたんだよ」
「三年前……!?」

驚く譲に、望美が柔らかく微笑む。

「でも、譲くんに会えて良かったよ。ずっと探してたから」
「お前だけあの時はぐれちまったからな。一人でこの世界にいたら……と心配してたが、とりあえず良かったぜ」

この三年間、ずっと行方を捜していたもう一人の幼馴染である譲。
どういうことか、譲だけは今この世界にやってきたばかりだった。
あの時はぐれてしまったことが原因なのだろうか?
とにかく一人この世界をさまよっていたのではなかったことにほっとする。

「……本当に先輩や兄さんがこの世界にやってきたのは、三年前なんですか?」
「うん。見た目もずいぶん変わっちゃったでしょ?」
「それは……」

口を濁した譲に、望美が寂しげに微笑む。
二人と譲を隔てた時間は、否応なくその身に映されていた。

「確かに少し大人っぽくなってるかもしれませんが、先輩は先輩です。俺が知っているあなたと変わりはありませんよ」
「ありがとう、譲くん」

昔から人一倍気遣ってくれる心根の優しい幼馴染に、望美の顔が自然と綻ぶ。


「望美? いいかしら?」
「あ、うん」

頷くと、朔がお盆に茶をのせ入ってきた。

「ありがとう!」
「すみません」
「お、悪いな」
「気にしないでくつろいで」

茶を配りながら、それぞれの感謝の念に朔が微笑み返す。

「あなたにまた会えて嬉しいわ、望美」
「私もだよ。でも、どうしたの? その髪……」
「……出家したの。だから切ったのよ」
「出家? どうし……」

問いただそうとして、朔の瞳に浮かんだ悲しげな光に望美が口をつぐむ。

「ゆっくりしていってね。もしよければ、ずっといれくれても私は嬉しいわ」
「本当に、良くしてもらってすみません。落ち着いて、元の世界に帰る方法を探すことが出来ます。今はどうやったら元の世界に帰れるか、皆目見当もつきませんから」
「前の白龍の神子も、異なる世界から来たというわ。その方のことを知る人なら、わかるのかもしれないけれど……ただ、前の白龍の神子が自分の世界に帰れたのかどうかもわからないのよ」
「もしかしたら……帰る方法は見つからなかったかもしれないということですか」

朔の話に譲が顔を曇らせる。
望美や将臣も願った、元の世界への帰還。
その術が見出せない苦悩は身に染みていた。

「譲たちは、元の時空に帰りたいの?」

それまで黙っていた白龍の問いに、譲が寂しげに微笑み頷いた。

「そうだな。帰りたいと思うよ」
「神子は? 帰りたい?」

まっすぐ見つめる少年に、望美が戸惑う。

「元の世界に帰ることが出来るとしたら……」

譲を見つけたら三人で帰る――ずっとそう思い、この異世界で過ごしてきた。
しかし、平家を離れ、譲も見つかり、本格的に帰る手段を考えられる……そうなって躊躇いが生じていた。
自我を失い、生前の己を忘れ、ただ機械のように戦うだけの哀れな怨霊。
自我を持ちながらも、それによってさらに苦しみを抱える経正と敦盛。
自我を忘れ、破壊衝動に踊らされてしまっている清盛と惟盛。
戦によって命を失い、怨霊となって舞い戻った哀れな平家の人々を救いたい。
彼らと過ごした三年あまりの時は、確かな絆となっていた。

「神子を助ける力を……願いを叶える力を……」

黙した望美に、白龍は呟くと瞳を閉じた。
瞬間、少年の身体から気の奔流が吹き荒れる。

「……だめ、足りない……」
「白龍、今のは一体、なんだ? あれも宝玉の力みたいなものなのか?」
「ううん……八葉とは……違う」
「神の力ですね。龍神の力、その片鱗なのでしょう」
「べ、弁慶さん!? いつの間に?」
「ふふっ、声はおかけしましたよ? でも、みんな集中していたみたいだから……びっくりさせちゃいましたか?」

微笑む弁慶に、しかし将臣は顔を強張らせた。
彼の言葉は偽り――その気配を完全に断っていたのだから。

「朔殿、あなたもご存知だったのでしょう? この方は龍神。応龍の陽の半身――『白龍』なのだということを」
「ごめんなさい、望美。私も確信があったわけではなくて」
「この子が……龍神……? ちょっと待ってください。龍神って神様なんでしょう?」

驚く譲に、朔が顔を曇らせ頷く。

「そうね。龍の姿の神の名よ。私を神子に選んだ黒龍は、黒く光る美しい鱗を持った龍だった。けれど、龍脈を流れる力が止まって……少しずつ身体が保てなくなって……龍の姿ではなくなったわ」
「人の姿になったの?」
「ええ」

悲しげに俯いた朔に、白龍がその言を引き継ぐ。

「龍と神子、つながってる。神子が人だったから私も、人を模した。神子、私はちゃんと人に……見える?」
「うん。人間に見えるよ」
「よかった」

じっと見上げて問われ、望美は微笑みながら頷いた。

「白龍、あなたが八葉と神子を選んだんですか」
「ううん、八葉は宝玉が選ぶ。神子は、時空と……うん、私が」
「望美さんたちをこの世界に連れてきたのは、あなたなんでしょう?」
「……うん」
「ええっ、この子が私たちを!?」

驚き、白龍を見ると、幼き龍神は窺うように望美を見た。

「神子……だめ、だった?」
「だめかって……だって、困るよ。突然こんなところに連れてこられちゃ」
「ごめんなさい……神子を選ばなきゃと思って。神子……ごめんなさい」
「望美、龍は神子を選ぶものなの。あまり責めないであげて」
「この世界に来たのはもう、済んだことだから仕方ないとして……もし、知っていたら、帰る方法を教えてくれないか?」
「……さっき、やった。道、開かない。力が…足りない。時空の狭間からこの世界に道を開けても、狭間へ道を開けない。――私は、神子たちを元の世界には戻せない」
「戻せない……そうなのか」

悲しげに詫びる白龍に、譲が失意の表情を浮かべた。

「待ってください。まだ、諦めるのは早いかもしれませんよ」

不意の言葉に、皆が驚き振り返った。

「龍神の力がないなら、力を高めればいい。龍神が持つ神力は、龍脈を流れる五行の力ですから。力は奪われ、今は怨霊の中に留められていますが…望美さんが怨霊を封じれば、龍神の力も解放されるでしょう」
「怨霊……を?」

弁慶の言葉に、望美が顔を強張らせる。

「……神子、時空を越えるなら、方法、あるよ」
「そうなの? なんだ、よかった」
「私のこの、喉の逆鱗。龍の鱗は時空を越える力があるから、逆鱗を使えば、神子は時空を飛べる。……これを……」

苦しげに喉の逆鱗を取ろうとする白龍に、朔が慌てて制止した。

「待って! 白龍っ…!! 望美、やめさせて! 逆鱗は龍の力の源なの。はずせば、龍は消える。存在することが出来なくなるわ!」
「ええっ、死んじゃうってこと!? だめだよ、そんなの! 白龍、そんなの絶対だめだから!」
「神子……」

慌てて止める望美に、白龍が逆鱗から手を離す。
平家にいた頃も神子の力を高めようと、怨霊を封じることを決意したことがあった。
けれども都を追われた平家に怨霊の存在を消すわけにはいかず、ずっと悩んでいた。

「少し……考えさせて」
「先輩?」
「ごめん……」

悲しげな白龍から目を逸らし、望美は俯いた。
白龍の力を取り戻すには、怨霊を封じなければならない。
だけどそれは、平家を滅ぼすということだった。

「そうですか……。僕こそ無理を言ってしまって、すみません」

すんなりと引いた弁慶に、望美は不思議そうに彼を見た。
源氏にとっては怨霊を操る平家に対抗できる望美の力は、喉から手が出るほど欲するものだから。

「私だって戦いに出るのはいやだと思っていたもの。気にすることないわ」
「元の世界に帰る方法も、探せば他にも見つかるかもしれません。俺も、以前の白龍の神子について調べてみます。大丈夫ですよ」

望美が怨霊と戦うことを怖がっているのだろうと、誤解している朔と譲がそれぞれ慰める。
そんな中、一人望美の心情を理解している将臣は、望美を外へと促した。

「望美。お前はどうしたい? 帰るなら怨霊を封じて行けばいい。平家が気になるなら戻ればいい」
「でも……」
「俺たちは神様じゃねえんだ。あれもこれも全部かなえようなんざ無理に決まってるんだよ」

望美の身の危険を感じ、平家を共に出た将臣だったが、彼らを気遣わないわけではなかった。 辛い都落ちで、共に励まし、支えあってきた仲間たち。 清盛の亡き息子・重盛に似ていると、将臣を慕ってくれていた。 それでも。

「俺は選んだぜ」
「将臣くん?」
どちらか一方しか選べないなら、自分にとって一番大切なものを選び取った。

「うわああぁ! た、助けてくれえぇ!」
「――っ!!」

弾かれたように悲鳴のする方へと駆けて行くと、目の前には怨霊に襲われている町人の姿。

「そんな……こんな町の中まで!?」
「フシュウゥゥ……」
「誰か……誰か助けてくれえっ!」

悲鳴を上げ、助けを求める町人に、雑兵が刀で怨霊を切りつけるが効果はなかった。

「封印しなきゃ!」
「望美!?」

叫ぶと同時に駈け出した望美に、将臣も太刀を構え向かっていく。
――ガキ……ッン!

「………っ!」

怨霊の振り下ろした刀が、受け止めていた望美の剣を打ち砕く。

「望美っ!」
「先輩っ!」

無防備になった望美に向かって刀が振り下ろされたその時、眩い光が望美の目の前に現れた。

「これ……剣?」

光を放ち現れたもの――それは細身の剣だった。

「それは神子の望んだ力。神子を守る、あなたの剣」

白龍の言葉に、望美は手を伸ばすとその剣を掴んだ。
初めて持ったというのに、不思議と手になじむその剣に、望美は改めて怨霊に向き直った。
光に怯んでいた怨霊が、再び望美に襲いかかる。
しかし、望美は逃げずに怨霊に向かって切りかかった。
素早い一閃、瞬時に裂けた怨霊の身体。
その威力に驚きつつも、望美は朔を促した。

「朔、封印するよ!めぐれ、天の声」
「響け、地の声」
「かのものを封ぜよ!」

二人の声が辺りに響き渡った瞬間、怨霊が光に包まれ浄化された。

「すげぇ……あんた、命の恩人だ。本当にありがとな」
「おねえちゃん……ありがとう……」

怯えていた町人たちが、次々に望美に感謝を述べる。

「よかった」
「けれど、こんな怨霊が町の中に現れるなんて……」
「――怨霊は、京の町にも現れるようになってしまった」
「弁慶さん!」
「これも平家が作り出した怨霊の数が、増えているためでしょうね」
「怨霊は……嘆きから自然に生まれるのでは? 生み出すなんて……」

顔を曇らせる朔に、望美が俯く。
平家が怨霊を作り出しているのは本当だった。

「蘇って怨霊になるなんて、良いことではないはずなのに……」
「それだけ、向こうも必死ということでしょうね。自分の一族を……怨霊にする力を使ってしまうほどに」
「あなたたちが……っ!」

思わず言いかけ、ハッと口を閉じる。

「先輩?」

驚き見やる譲から、望美が顔を逸らす。

「お姉ちゃんは神子様なの?」
「!」
「そ、そうだ。昔から京の危機には龍神の神子様が現れるとじいちゃんが言ってた」
「神子様がいらっしゃるならもう大丈夫だ」

口々に『神子』を求め、すがる声。瞳。
それは、怨霊という脅威から守ってくれることを望むものだった。

「神子……」

弱々しく望美の裾を引く小さな龍神。
彼らを守る力を持つのが白龍の神子……望美。
『神子』という鎖が四肢に絡みつくような錯覚を覚えた。

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