平家の神子

20、黒衣の法師

現代にいた頃と違い、移動は全て己の足のみのこの世界に、望美ははぁ~と大きく息を吐いた。

「疲れたのか?」
「ううん。まだ大丈夫だけど、ちょっと時代の違いにたそがれてた」

望美が考えていたことが分かり、将臣が苦笑する。

「俺たちの世界じゃ兵庫から鎌倉なんて、車や電車に乗ればあっという間だもんな」
「うん。あの頃はそんなこと思わなかったけど、私たちのいた世界ってすごく便利だったんだね」

望美と将臣が清盛の邸を出てから二日。
サバイバルに強い将臣の勘と運を頼りに、二人は鎌倉を目指していた。

「でも将臣くんがいろいろ用意していてくれたから助かったよ」

着の身着のままの望美と違い、将臣は乾燥させた保存食や清盛からもらった宝石など、しっかりと旅支度を整えていたのである。 おかげで、寝食に困ることはなかった。

「事前に経正から話を聞いてたからな。それにいずれはこうなると思ってたしな」
「え? どうして?」

望美が問おうとした瞬間、木を踏む足音に顔が強張る。
二日間で距離を稼ぎ、出来るだけ福原から離れてはいたが、それでも追っ手に追いつかれないという保証はなかったのである。

「望美……離れるなよ」
「うん」

将臣の言葉に簡潔に応え、望美も注意深く気を配る。
相手も望美たちに気づいているようで、息を潜め様子を窺っているのが伝わってきた。

(あまり数はいないかな?)

多勢の場合は数に物を言わせて、気配を絶つなどそこそこに襲いかかってくるのが常だった。 相手が相当な手練ばかりだった場合は別だが、数はあまりいないように思われる。

(どうしよう……?)

望美がどう反応しようか決めかねていると、突然相手が気配を消すのを止めたのである。
突然のことに、望美と将臣が訝しんでいると、相対しているものがゆっくりと歩み寄ってきた。

「……君たちは……」

驚愕の響きに、望美と将臣は目を見開き、目の前に現れた男を見た。
そこにいたのは、前に清盛を襲撃した弁慶だった。

「あんたは……」

弁慶同様、彼に見覚えのあった将臣は、さりげなく望美を庇いながら、油断なく身構えた。
一見、温和な法師のように見える……が。

(清盛を襲撃してたってことは……こいつ、源氏の者か?)

将臣と望美が平家に身を寄せていたことを、目の前の男は知っているはず。
となれば、敵として襲いかかってくる可能性があった。
そんな将臣の考えを見通しているのか、弁慶は殺気の欠片もみせず、人の良さそうな笑みを浮かべて声をかけた。

「こんな山奥に何者かと思えば……あの時の可愛らしいお嬢さんたちですね?」
「……あんたは何者だ?」
「ふふ……見当はついているんじゃないですか?」

険しい顔で問う将臣に、笑みをこぼして言葉を濁す。
他に仲間がいないか、素早く辺りに気を配ると、心の内を読んだかのように弁慶が答えた。

「僕以外、誰もいませんから安心してください」
「あんたはこんなところで何をしてたんだ……?」
「君たちこそ、こんな山奥で何を?」

問いに問いで返す弁慶に、将臣がチッと舌うつ。

(この人は……敵なの?)

今まで幾度となく戦ってきた平家と源氏。
彼が源氏に与するものならば、平家に身を寄せていた望美と将臣は敵視される存在だった。

「その様子……君達は平家を出てきたのですね」
「…………」

弁慶の問いに、しかし将臣と望美は無言を返す。
そんな二人に苦笑すると、弁慶は敵意がないことを示すかのように、手に持っていた薙刀の構えを解いた。

「申し遅れました。僕は武蔵坊弁慶と言います。ここでお会いしたのも、きっと何かのご縁ですね」
「弁慶……じゃあやっぱり……」
「ああ」
「僕をご存じなんですか?」
「えっと……」

知っている、というのとはまた違うが、望美たちが知る史実上の彼なら、間違いなく源氏方だった。

「君達はこれからどこへ行くのですか?」
「あんたに答える義理はないだろ?」

にべもない返事を返す将臣に、望美が二人をちらちらと見比べる。
警戒を露わにする将臣に、笑みを崩さない弁慶。

(なんか読めない人だなぁ……)

見たままを信用するのは、さすがの望美でも出来ないが。
明らかな害意は感じなかった。

「僕は京へ戻るところだったんです。もし方向が同じならば、途中までご一緒しませんか?」

弁慶の誘いに、望美は将臣を窺い見る。
将臣は一瞬考えると、探るように弁慶を見た。

「……俺たちを取りこもうって腹か?」
「そんなつもりはありませんよ。たんに道に不慣れなようなので、案内を申し出ただけです」

二人が異世界から来たことなど知らないはずなのに、不慣れな様子を見抜いた弁慶に、望美はその洞察力に驚く。 将臣はしばらく考えた後、申し出を受け入れた。

「いいだろう。ただし、俺たちは俺たちの目的地がある。お前とはあくまで途中まで、だ」
「もちろんですよ」

読めない笑顔を返す弁慶に、望美はこの先の道中に不安を覚えるのだった。

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