平家の神子

19、乱心

文献を調べていた経正は、深いため息をついた。

「兄上?」

気遣う弟に、微笑み首を振る。
望美の身体に蓄積された穢れを取り除く方法を探っていた経正が見つけたのは、とある文献。 それは、二百年前の陰陽師の言葉を書き記したものだった。

「神子殿の穢れを祓う方法は、代々星の一族と呼ばれる者たちが持ち合わせていたようだ」
「星の一族、ですか?」
「ああ。四条に邸を構える、藤原の摂関家だったようだね」
「……それでは不用意には参れませんね」

たとえ廃れているとはしても貴族――伺いを立てずに訪れることは出来なかった。

「――やはり神子殿をこのまま平家に留めさせるわけにはいかないようだね」
「兄上……」
「敦盛。お前に頼みがある」

真剣な兄の様子に、敦盛は身を引き締めるとその話に耳を傾けた。
瞬間、驚きに目が見開かれる。

「兄上っ、それは……っ!」
「神子殿を守るためだ。強いては一門のためでもある。――引き受けてくれるね?」
「……はい……」

望美を守るために。
そう告げられた言葉に、敦盛は唇を噛みしめ、重く頷いた。

* *

渡殿を慌しく駆ける音が響く。
望美が急ぎ目指しているのは、敦盛の部屋。
久しく会っていなかった敦盛が発作を起こしたと、知らされたのだ。

「敦盛さん、大丈夫ですか?」

部屋に着いた望美は、苦しげに胸を押さえている敦盛に駆け寄った。

「……っ神……子……」
「今すぐ鎮めますね。じっとしてて下さい」

手を握って瞳を閉じた瞬間、後ろから非難の声があがった。

「神子殿、何をなさっているんです!?」
「経正さん?」
「敦盛を浄化なさるおつもりですか? ――やはりあなたは私たち平家を疎んでいらしたのですね」
「そんなこと……っ! 私はただ、敦盛さんの発作を……っ」

騒ぎを聞きつけ、集まってきた人に、望美は慌てて否定した。
しかし表情固く、経正は望美を見据えた。

「神子殿は白龍に選ばれし神子。神子たる本分で怨霊の浄化を望まれるのでしょう。――しかし、それを許すわけには参りません」

経正の合図に、武士が望美を取り囲む。

「経正さん!?」

望美の驚愕の声は届かず、邸奥の牢へと引き立てられていった。

* *

「何事だ、騒々しい」

ひゅん、と前触れもなく現れた清盛に、経正は頭をたれて一部始終を報告した。

「なに? 神子が乱心しただと?」
「はい。敦盛を浄化しようと……」
「一門のものを封印しようというのか!? あのうつけめっ!!」

激昂する清盛に、経正は俯き唇を噛んだ。
先程の出来事は、経正が敦盛と仕組んだ空言。
望美を守るため――穢れに蝕まれた平家より逃すための芝居だった。

「今は牢に閉じ込めてあります。詮議の上、身の処分を決めたいと思います」
「ううむ……一門を脅かす者をこの手に収め、懐柔できたと喜んでいたが、やはり神子の本分を捨てきれぬか」

本来、龍神の神子とは、京の危機に世界を救うために召還されるもの。
ただ一つの一門を栄えさせるために、存在するものではないのである。

「神子の本分に従い、我が一門を滅ぼそうというのならば止むを得まい」

言外に処断を含ませた清盛の言葉に、経正の顔に冷や汗が浮かぶ。
賽は投げられた。
後は一刻も早く、望美を逃がすのみだった。

* *

牢に閉じ込められた望美は、わけがわからなかった。
敦盛の発作を抑えに出向いたその場で、反逆を疑われてここに連れてこられたのである。

「経正さん……本当に私のこと、疑ってるのかな?」

自分たち怨霊を疎んじていたのだろうと、そう責めたてた経正。
そんなつもりなど微塵もなかったのに、彼にそう思われていたことが酷く悲しかった。

「……おい……望美」
「……将臣くん?」

呼びかけに顔をあげると、そこには幼馴染の将臣の姿。

「出るぞ」
「え? だって鍵が……」

牢にかけられた南京錠を見ると、それはあっさりと外れ、望美は目を丸くした。

「最初からかかってなかったんだよ。さ、急ぐぞ」
「え? どうして?」
「説明は後だ」

促され、牢を出た望美は、将臣の用意した水干に着替え、外へ逃げ出した。
闇に乗じて邸を抜け出た二人は、そこから大分離れた山奥に身を潜めていた。

「ねえ? 一体どういうことなの?」

突然の捕縛、そして逃走。
次々と起こった出来事に、望美はその答えを求めて将臣ににじり寄った。

「お前を平家から出すためのお芝居だったんだよ」
「お芝居?」
「経正が調べたんだが、龍神の神子っていうのは気の流れに敏感で、穢れに当てられやすいんだと。だけどその穢れを取り除く方法ってのが、普通の者じゃ出来ないものらしくてお前がダウンする前に平家から逃がそうと、経正と敦盛が一芝居うったんだよ」

将臣の説明に、経正の言葉の裏の真実に気づく。

「経正さん……私のためにあんなことを……」
「経正も敦盛も、お前を大事に思ってやったんだ。許してやれよ?」

優しく諭され、望美がこくんと頷く。
本気で疑われたのだと、そう思った自分が恥ずかしかった。

「でも、これからどこへ行けばいいんだろう?」

望美も将臣も、平家一門以外頼るものなど、この世界になかった。
望美の視線に、一瞬逡巡すると、将臣はゆっくりと口を開いた。

「――鎌倉へ行こう」
「鎌倉?」

思わぬ場所に、望美が驚く。

「怨霊を封じるお前の力は、平家の外に出れば脅威でしかない。それを清盛が放っておくとは思えねぇ。とりあえずはここを離れて、安心してこれからのことを考える場所が必要だろ」
「それでどうして鎌倉なの?」
「ずっと前に誘われただろ?」

将臣の言葉に、三年前に出会った朔のことを思い出す。

「朔! そういえば、鎌倉の梶原を訪ねてって言ってた!」
「供を連れてた様子からも、いいとこのお嬢さんだと思うぜ。とりあえず身を寄せて、じっくりこれからのことを考えるってのはどうだ?」

将臣の提案に、望美は大きく頷いた。

→次話を読む

Index menu