平家の神子

16、歪められた生

それは、たまたま近くを散策していた時のこと。
平家を探るために厳島へ潜り込んだのだろう、源氏の武士を、惟盛が捕まえた場面に遭遇したのである。

「坂東武者がこの地を踏むなど不届き千万。この私が黄泉へと葬ってやりましょう」
「ひ……ひぃ……っ!」
「待って! 惟盛っ!!」

望美の制止も空しく、惟盛の放った鉄鼠は源氏の武士の喉を噛み切り、死へと追いやった。

「ひどい……」
「神子殿、何を申されます? この者は我が一門の敵。情けなど不要でしょう?」
「だからってこんな……人の命をこんな簡単に奪うなんて……っ」

声を震わす望美に、惟盛は甲高く笑うと、嘲るように彼女を一瞥した。

「我が一門以外の人間など、この世には不要なもの。神子殿、あなたは平家の神子なのだということを、くれぐれもお忘れなきように」
「…………」

奪った命を少しも顧みない惟盛に、望美はきゅっと唇を噛みしめた。
目の前にいる平惟盛。
彼もまた、都落ちという辛い経験の中、世を儚んで自ら命を絶ち、清盛によって再びこの世に舞い戻された怨霊の一人だった。
生前の虫も殺せないほど優しかった惟盛の変貌。
それは理を崩し、神器の力で得た生による歪みだった。

(やっぱり違う――こんなの間違ってる)

平家一門は望美にとって大切な存在で、だから怨霊を生み出してもなお、一門を守ろうとする清盛を止めることが出来なかった。
しかし、その想いこそが平家に歪みを生じさせたのである。

(どうすればいいの? わたしはどうすれば……)

怨霊となった身を救える方法――それは白龍の神子のみが行えるという浄化だけ。
しかし、たとえ救いなのだとしても、それはこの世から消し去ってしまう行為だった。
大切なものたちを、自分の手で失う。
その事実は、どうしようもなく望美を戸惑わせた。

* *

「――何を憂いておられるのですか?」

頭上からかけられた静かな声に、望美はパッと顔を上げた。

「経正さん……」
「お顔の色が悪い…お加減でも悪いのですか?」
「いいえ……大丈夫です……」

心配そうに見つめる経正に、望美は曖昧な笑みを浮かべた。
目の前で望美を気遣うこの人は、敦盛の兄である経正。
彼もまた、戦の中で命を失い、怨霊として蘇った亡者の一人だった。

「……あなたは本当に清らかな人なのですね」

経正の言葉に、望美はふるふると首を振る。

「清らかなんかじゃありません。私のこの手は……血塗られている」

都落ちの最中、生き延びるために何度となく剣で人を切った。
自分の命を守るために、人を傷つけて。

「あなたの身体からは、清らかな気が溢れている――私とは違って」

悲しげに微笑む経正に、望美は顔を上げ彼を見た。

「神子殿。あなたにお願いがあります。我が一門が生き残れる道を拓けたその時にはどうか……私や一門のものをあなたの力で浄化してください」
「経正さんっ!?」
「私は一度死した者。この世に想いを残し、舞い戻ってしまった亡者……怨霊なのです。この穢れた身体を、どうかあなたのその清らかな力で浄化して欲しいのです」

まっすぐに望美を見つめる経正の瞳にもまた、敦盛と同じ悲しみが宿っていた。
この人は確かに怨霊で……この世の理からは外れた存在だった。
それでも。
今、彼はここにいる。
目の前に『生きて』いるのだ。

「私には……出来ません」
「神子殿……?」
「私にはあなたを……平家の皆を封じるなんて出来ません!」

例えその存在が理から外れていようとも。
彼らは生きているのだ。
生前と変わらず、心を持って――人として。

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