平家の神子

14、倶利伽羅峠の戦い

将臣は経正と共に越中から加賀へ通じる加越国境の倶利伽羅峠にいた。
木曾で挙兵し勢力を伸ばす木曽義仲を、平家はここで迎え撃つことにしていた。

「今回の相手は、木曽義仲。令旨を掲げ、平家討伐に名をあげたものです」
「以仁王の令旨……か」
「……そうですね」

将臣の言葉に、経正が顔を曇らす。
怨霊になる前、娘盛子と息子重盛の相次ぐ死に、悲しみ打ち沈んでいた清盛に追い討ちをかけるかのように、彼を疎み始めた後白河法皇は二人の領土を無断で没収する措置を行った。 そのことに怒った生前の清盛はクーデターを決行、後白河法皇を鳥羽殿に幽閉した。
だがそのことで反平家の声が高まり、後白河法皇の第三皇子であった以仁王が、平家討伐の令旨を源氏に発したのである。 これを受け、平家討伐の名目を得た源氏との争いは激化していったのだった。

「ですが、数は我々の方が有利。案ずることはありません」

落ち着かせるように微笑む経正に、しかし将臣は眉をしかめた。
現代で習った、この倶利伽羅峠の戦い。
それは平家の敗北ではなかっただろうか――?

 * *

それは夜中のことだった。
突然大きな音が響き渡ったかと思うと、義仲率いる源氏軍が襲い掛かってきた。

「敵襲! 木曽義仲が攻めて来たぞ~!!」

奇襲に悲鳴をあげる平家軍に、将臣はチッと舌打った。

「くそっ……歴史の通りかよ……」

このまま史実の通りに行くのなら。

「――この戦は平家が負ける」

将臣の危惧は的中した。
夜が明けてからの開戦を想定していた平家は、突然の襲撃に浮き足立っていた。
慌てて退却を試みるも、退路は押さえられ、敵が唯一攻めて来ないある方角へと逃げていく。 それが木曽義仲の策とは知らず――。

「待てっ! その先は……っ!!」

将臣の制止の声は、しかし絶叫で掻き消された。
断崖へと知らず追い込まれた平家は、次々と谷底へと転落していった。

「俺がもっと早く思い出していれば……っ!」

望美と将臣がいた世界の歴史と重なる、この世界の時の流れ。
この戦は俗に言う『倶利伽羅峠の戦い』だったのである。
混乱した戦場を生き延びるために必死に駆けた。
そうして何とか生き延びた将臣は、経正と十万とも言われていた兵の大半が命を落としたことを知ったのである。

 * *

倶利伽羅峠の戦いは、平家の惨敗となった。
清盛の死とこの戦が決定打となり都を追われた平家は、西国へと落ち延びていった。
しかし、京へ再び返り咲くことを諦めない清盛は、ついに自ら怨霊を生みだし、失われた兵力を補った。 怨霊たる清盛が、怨霊を使役する。
そのことに戸惑いながら、しかし望美は何も言うことができなかった。
倶利伽羅峠で多くの兵を失った平家。
彼らが生き残るためには、そうするより他になかったのだから――。

* *

「たあっ! はあっ! やあっ!」

日課である剣の鍛錬をすませた望美は、汗を拭うとすぐ傍の階に腰を降ろした。
一時悩んでいた掌は、今ではすっかり皮が厚く、ごつごつとした剣を扱うものの手になっていた。

「これじゃ、元の世界に帰ってももてないだろうなぁ」

一人愚痴ると、クックと独特な笑い声が耳に届く。

「そんなことが気になるのか? クッ……進んで剣を振るう女だから、どんな獣かと思っていたが……」
「誰が獣よ! 失礼ね!」

知盛の中傷に、望美がムッと眉をつりあげる。

「お前はもっと貪欲な女だと思っていたがな」
「お気に召さなくて悪かったわね。私だって必要なければ、剣なんか振るいたくないよ」

剣は自分の身を守ると同時に、人を傷つけるものだった。
それを否応なく知った望美は、そんな自分を嫌悪していた。
都落ちの最中は、まさに地獄だった。
逃げた先でまた追われ、先に絶望し自殺するものいた。
生き延びるためには剣を振るうしかなく、望美は自分を守るため、その手で人を切った。
そうしなければ自分が生きられなかった。けれど正当化してはいけないと、望美は思っていた。 押し黙った望美を、知盛は興味深げに見つめると、おもむろに手を伸ばして顎を掴んでついっと上向かせた。

「……面白い女だ」
「なっ……!」

クッと口の端をつりあげる知盛に、顔を赤らめた望美がその手を払う。

「いちいち触れないでよ! このセクハラ男!」
「せくはら? お前たちはよくわからん言葉を口にするな……」

ついこの世界の者が分からない言葉を口にしてしまいながら、望美は赤く染まった頬を隠すように顔を背けた。 この世界は、男が女を口説くのは日常会話のようなものらしく、知盛の弟・重衝などにも今まで言われたことのないような甘い言葉を次々と浴びせられ、望美はすっかり困っていたのである。

「おいおい、あんまりそいつをからかうなよ?」
「有川か……」

ため息交じりの男の声に、知盛は身を起こして向き合った。

「お前もいちいち赤くなりすぎ。こいつらのは挨拶みたいなもんだってわかってるだろ?」
「そんなこと言ったって、心臓に悪いのは仕方ないじゃないっ」

自分一人が舞い上がっていると言われている気がして、拗ねたように睨むと、将臣が苦笑した。

「鍛錬終わったんだろ? だったらちょっと出ないか?」
「どこへ行くの?」
「弥山」
「あそこは兄上にも縁が深い……ふっ、顔が似ていると好みも似るのか?」
「そんなんじゃねーよ。ま、一種の願掛けだな」

嘲るように笑う知盛に、将臣は気にせずさらっと言い放つと、望美を促し外へと出た。

「将臣くんが願掛けなんて珍しいね」

神頼みするような性格でないことを熟知している望美は、不思議そうに並んで歩く将臣を見た。

「ばーか。願掛けなんて口実だよ」
「え?」

驚く望美に、将臣がふっと目元を和らげる。

「……辛いんだろ?」

心の内を見透かした将臣の言葉に、望美は瞳を翳らせた。
一門を守りたいという清盛の思いは、しかし怨霊をうむ要因となってしまったのである。

「何がいいのかわからなくなってきちゃった……」

怨霊として死者をこの世に舞い戻す。
それは理から外れた行いだった。
しかし、倶利伽羅峠で行われたあまりにもひどい平家への虐殺行為。
戦の無常――その一言では許されないほど、多くの命があの戦いで失われた。
痛みと苦しみしか生まない戦いを、なぜ人は繰り返すのだろう?
京の実権を狙う源氏と平家。
一門の栄華……そんなもののために争い、多くの命を犠牲にして。
俯く望美の頭を、将臣ががしがしとかき撫でる。
髪を乱すぐらい乱暴に撫でるのは、慰めようとする時の将臣の癖だった。

「これからどうなるんだろう……?」

京を追われ、福原へと拠点を移した平家。
倶利伽羅峠の戦い、そして都落ちと、転落の道を辿り続けていた。

「さぁな。だが、俺たちはこんなところで死ぬわけにはいかないんだ」

いつにない将臣の真剣な声に、望美も唇を噛む。
そう……ここで死ぬわけにはいかないのだ。
将臣も、望美も……そして彼らも。

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