Trick or treat

家ほた1

「はあ……」
中庭の片隅にいつものように逃げてきた家康は、深いため息をつくと先程の出来事を思い出す。

今日、10月31日はハロウィン。
日本でもだいぶ浸透してきたこのイベントは、生徒会長発案でこの学園でも行われることとなり、学校内には仮装をした教師や生徒であふれていた。
その物珍しい様子にきょろきょろと辺りを見渡していると、ぽんと肩を叩かれ、振り向いた家康は目の前にいる女子に顔を青ざめた。
普段は話しかけられる前に逃げ出しているため、韋駄天の君などと大層なあだ名をつけられてしまっているのだが、今日は普段とは違う様相に辺りへの注意を怠ってしまっていた。

「Trick or treat?」

決まり文句を言われ慌てて差し出したクッキーは、昨日スイーツ部で今日のためにと焼いたもの。
わあ!可愛い!と、笑顔ではしゃぐ女子たちに、気づかれないようにじりじりと後ずさると、一目散にその場を逃げ出す。
だが着慣れぬ和服のために、いつものようには走れず、声をかけられては無視することもできず、そのたびにクッキーを渡して、中庭に逃げついた頃には家康の手元にクッキーは一枚も残っていなかった。

「なんとかクッキーは配れたし、もうこのままここにいてもいいでしょうか……」

信長からはスイーツ部を広めるため、クッキーをすべて手渡すように言われていた。
だが宣伝こそ出来なかったが、家康がスイーツ部に所属していることは知れているので、一応は部長命令は果たせただろう。

「……あ、小鳥さん! ちょっと待っててくださいね」

家康がまめにこの中庭で餌をやるからか、懐いた小鳥に餌をねだられいつものように制服を漁ろうとするが、今日は通常と異なる衣装を身に着けていたことを思い出し、家康は困ったように眉を下げた。
普段ならば必ず米をポーチに入れて持ち歩いているのだが、今日は慣れぬ和装に手こずり、入れ替えることを忘れてしまっていた。

「あ、そう言えばパンの残りが……っ」

信長から手渡された菓子パンの存在を思い出し、袂を漁ると出てきたパンにほっと胸を撫で下ろし、小さくちぎって足元に撒く。
美味しそうにつつく姿に、家康は頬を緩めた。

「家康くん?」

「わっ! ……あ、き、桔梗さんだったんですね」

「すみません、急に声をかけたから、家康くんも小鳥さんも驚かせてしまいましたね」

「い、いえ、謝らないでください。
その、僕は女の子が苦手なので焦ってしまっただけなので、あなたが悪いわけではありません」

強張った身体から力を抜くと、改めて見返した桔梗の姿に瞳を瞬く。

「桔梗さんは魔女さんなんですね」

「定番とはいえ、やはりこのような格好は気恥ずかしいですね」

「そんな、とてもよくお似合いだと思います」

「ありがとうございます。家康くんは……武士、ですか?」

「ああ、はい。僕は恐れ多くも家康公と同じ名前を戴いているので、信長くんが和装にしろと…」

「とても素敵です」

「あ、ありがとうございます……」

にこりと笑顔で褒められ、家康は気恥ずかし気に俯いた。

「家康くんはクッキーはもう配り終えたのですか?」

「あ、はい。桔梗さんは……飴に、チョコに大福まで……」


「ああ、これは官兵衛くんやししょ……百地先生からいただきました。ふふ、『Trick or treat?』と告げるだけでお菓子をもらえたり、悪戯が出来るなんて面白いイベントですよね」

「そう、ですね…」

悪戯という言葉に、桔梗は何か悪戯されたりしなかったのかと不安になる。
お前は多めに持てと、信長からクッキーの他にも持たされはしていたが、彼女が多くの者に好かれていることを知っていたから、家康はおずおずと問う。

「あの……桔梗さんは、その、お菓子ではなく悪戯をねだられたりはしなかったですか?」

「はい。沢山決まり文句は言われましたが、部長や光秀先生から大量に菓子を持つように言われていたので、それを渡すだけで済みました」

「そうですか」
あの2人の洞察力に感心と感謝の念を抱くと、桔梗が逆に問うてくる。

「家康くんも悪戯されずに済みましたか?」

「は、はい。今日は沢山の方に声をかけられましたが、クッキーをお渡しすると喜んでくださいました」

「家康くんが丁寧に粉をふるってくださったおかげで、サクサクに仕上がりましたからね」

「そ、そんな僕なんか大してお役に立てては……っ」

「余ったらもう少し食べたいと思っていたのですが、全部なくなってしまって残念です」

「それでしたら、今度またスイーツ部で作ってみませんか? 今度は生地にココナッツを加えてはどうでしょうか?」

「美味しそうです。ぜひ、ご一緒させてください」

提案に嬉しそうに微笑む桔梗に、家康はドキドキと顔を赤らめ、胸を高鳴らせる。
スイーツ部で顔を合わせるようになり、彼女だけは目を見て話せるようになったのだが、最近桔梗に対して以前とは違う胸の高鳴りを覚えるようになり、家康は戸惑っていた。

「ところで家康くん、それは?」

「え? ああ、これは信長くんからもらった菓子パンです。今日はハロウィンで衣装を変えていたので、小鳥さんのご飯の代わりにあげていたんです」

「新商品ですよね……あ! それはもしかして、幻のメロンパンでは?」

「幻のメロンパン、ですか?」

「はい」

家康の持つパンをまじまじと見つめていた桔梗は、考え込む表情を見せたかと思うと、すみませんと断り、決まり文句を口にする。

「Trick or treat? 家康くんはもうクッキーはすべて配り終えてましたよね? でしたら、もしよろしければその菓子パンをいただけませんか?」

「え? でも、これは小鳥さんにあげていた食べかけのものですし、そんなものを差し上げるなんて……」

「構いません。どうしてもそれを食べてみたいんです」

自らは口をつけてはいないものの、袋を開けた物をあげるなど失礼だろうと慌てるも、桔梗のあまりの熱意のこもった瞳に、よほどこの菓子パンが食べたいのだろうと微笑ましくなる。

「ふふ」
「家康くん?」
「ああ、いえ、すみません。では、開けてしまったもので申し訳ありませんがどうぞ」
「ありがとうございます!」

手にしていた菓子パンを差し出せば、嬉しそうに受け取り、早速口に運ぶ桔梗の様子を、家康は愛し気に見守る。

「! 美味しいです。甘くて、程よくしっとりとしていて、味にも深みがあって……」

「そんなに喜んでもらえたのならよかったです」

「あ、すみません。行儀悪かったですね」

「いいえ、お気になさらないでください。ですがぜひ今度、改めて新しいものを贈らせてください」

「そんな、家康くんにそのように気をつかっていただくなど……」

「僕が桔梗さんに差し上げたいんです。あなたがそんなに喜んでくださるのなら、こんな嬉しいことはありませんから」

思いがけず桔梗の可愛らしい様子を見れたが、それを手ずから選んだものならきっともっと嬉しいのだろうと、家康は帰りにコンビニに寄ろうと心に決めたのだった。
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