幸福を奏でる

冥かな1

「冥加さんは何か武道を習ってるんですか?」

冥加の家でかなでの手料理を食べた後、コーヒーを飲んでいた冥加は彼女の前振りのない問いにわずかに眉を寄せた。

「……護身程度にはな」
「やっぱりそうなんですね……」

冥加の答えに考え込むように俯くかなで。
なぜこんなことを聞いてくるのかと訝しんでいると、おもむろに彼女が顔を上げ宣言する。

「私も何か護身術を習いたいと思うんですが、どこに行けばいいんでしょうか?」

「お前が護身術だと? 何の気まぐれだ」

「気まぐれじゃありません」

「気まぐれじゃなければ酔狂だな。怪我をして手を痛めたらどうなるかわからないほど愚かでは、バイオリニストとしての自覚が足りないと侮られても文句は言えまい」

武道は当然危険を伴う。
かなでにそんな真似をさせられるわけもなく、にべもなく彼女の宣言を一刀両断にすれば、目に見えて肩を落とす姿が目に入った。

「――何か身に危険を感じることでもあったのか?」

突然護身術を習いたいと言いだした理由の原因に、よもやと剣呑な空気をかもすも、ふるふると力なく振られた頭に、己の予想が外れたことに密かに安堵しながら、かなでの釈明を促した。

「冥加さんを危険な目に合わせたくないんです」

「……俺を?」

「以前、私は二度連れ去られて、冥加さんを危険にさらしました。だから……」

「お前は俺の事情に巻き込まれただけだろう。そのことで俺を恨みこそすれ謝る理由はない」

「そんなことないです。私が気をつけていれば、人質になんかなって冥加さんに辛い思いをさせないですんだんです」

「だから護身術、か……」

こくりと頷く小さな頭に、冥加は安直だと思いながらもこみあげる愛おしさを感じ、かなでを見下ろした。

「ならばこんな厄介な男など愛想を尽かすがいい」

「え?」

「そうすればお前が巻き込まれることもなく、俺の身を案じる必要もなくなる。――もっとも、お前が嫌だといっても手放す気は毛頭ないがな」

かなでが反論する前に先手を打つと、理解が即座に追いつかずにくるくると忙しなく表情の変わる彼女の頬に手を伸ばす。

「お前に破滅させられるならそれが俺の運命なのだろう」

――ファムファタル。
かなでは冥加の運命そのもの。 憎しみから解き放たれて残ったものは、ただ愛しく想う気持ちと、ひたすらにその心を欲する想い。
彼女にその想いを受け入れられてからも、その欲は貪欲に彼女のすべてを求め続けていた。
その瞳に映るものが自分だけならいい。
そんなことを思う時点で自分はとっくに狂っているのだろう。

「嫌です。離れるのも、冥加さんを危険な目に合わせるのも……わがままだってわかってます。
でも、冥加さんと離れるのは絶対嫌なんです」

普段はどちらかといえば幼くみられることの多いかなでの、けれども熱を帯びたその瞳は恋を知った女のもので、冥加をどうしようもなく惹きつける。
わきあがる愛おしさに抱きしめたい衝動を理性で抑え込みながら、頬をゆるりと撫でた。

「言ったはずだ。手放す気など毛頭ないと」
「だったら……」
「護身術の件はなしだ。認められん」

不貞腐れる様まで愛おしく思えるのだから重症だと、どこか冷静に考えつつも頬が緩む。
自分を気遣うかなでの想いが嬉しくて、冥加は彼女の想いが確かに自分に向いていることに、この上ない幸せを改めて噛みしめる。

「金輪際誰にもお前を傷つけさせはしない。それで問題ないだろう」

「あります。私だって冥加さんを守りたいんです」

どこまでも優しくて愛しい彼女に、かなで以外知ることのない笑みを浮かべると、慈しむようにその頬を撫でる。

「それならば俺の傍を離れないことだな。俺はお前の身を案じる必要がなく、お前が護身術を身に着ける必要もない」

「……それってプロポーズ、ですか?」

真っ赤な顔で思いがけないことを問われて一瞬戸惑うが、平静を装い動揺する彼女を見る。

「どう取ろうとお前の勝手だ」
「――だったら私の好きに受け取ります」

そう言うや、冥加の背中に回された腕が肯定を指し示していて、止まらぬ愛おしさに心が震える。

好きだと告げて愛していると返ってくる。
それはなんて幸せなことなのだろう。
ほんの数ヶ月前には考えもしなかった。自分がかなでと想いを交わすことを。
憎しみも、愛しさも、すべては彼女に心奪われた故。
囚われ、がんじがらめに縛られて、あがき、そして得たのは冥加をずっと惹きつけてやまなかった唯一の存在。

「後でそう言うつもりじゃないとか言っても受け付けませんからね?」

「ふっ……お前こそ敵前逃亡しなかったことを後で悔やまないことだな」

「目の前にいるのは敵じゃなく、恋人です」

さらりと爆弾を落とすのは相変わらずで、いつもそんな彼女に心揺らされるのは冥加なのだとかなでは知っているだろうか?
それでもそれさえも愛しくて、冥加は恋人との甘いひと時を過ごした。
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