★このお話は帰還ENDベースの『勿忘草』の続編になります。
「撫子ちゃん」
ーー声がする。
胸が痛くて、でも手を伸ばして引き留めたくなる……大切なひと。
愛しげに、悲しげに呼びかけられる声に、どうしようもなく手を伸ばしたくて。
動かない身体がもどかしい。
『ーーーー』
紡げない名前。
知っていたはずなのに【私】の中にはほんのわずかにしか残ってなくて、こぼれ落ちそうな想いを繋ぎ止めて『約束』を守りたいと願う。
(ーー約束?)
浮かんだ思いに首を傾げて……ああ、そうだと抱きしめる。
忘れないでと、彼が願ったから。
忘れたくないと、私が願ったから。
こぼれ落ちて消えてしまわないように、大切に抱きしめる。
『忘れないわ』
たとえ私が忘れても。
【私】が覚えている。
動かない身体。
それでも【私】はここにいるから。
朧な世界。
まるで水の中のように聞こえる言葉はひどく曖昧だったけれど、少しずつ、少しずつ変わっているから。
「君は笑ってくれているかな」
ーーええ、きっと。だってあなたが守ってくれたから。だから今度は笑ってあの世界の幼いあなたと共に未来を歩んでいるはず。
「どこにいても、僕は君を想ってる」
『ーーーー』
返したい言葉がある。
伝えたい言葉があるのに。
強く悲しい願いが奇跡をもたらしたのなら、きっと今、ここに【私】がいることに意味はあるはず。
「ん?」
小さな警告音に傍らのコンピューターに目をやる。
「え、僕なんか変なところ触っちゃった?」
折れ線グラフがガタガタと揺れていて、警告を発する画面に時田君を呼んでこなければと飛び出しかけて。
ピッピッと機械音の後にプシュウと中の空気が一斉に逃げ、開いたカプセルの蓋に唖然とする。
まさか、どうしてと思考はめまぐるしく疑問を浮かべ、バクバクと暴れる鼓動が耳につく。
もう二度と開くことはないはずだったカプセル。
「撫子、ちゃん?」
呼びかけにけれども声は返らなくて、まさか誤作動かと慌てて駆け寄ると、目にした変化に言葉を失う。
開いた瞳。
あの日以降、決して開くことのなかった瞼が上げられ、覗く翡翠の輝き。
目覚めたことを確かめたいのに、また閉じてしまったらと恐れもわいて動けずにいると緩やかに視線が動いてーー交わって。
唇が震え、吐息がこぼれ。
「ーーーーなか、ば」
「……!」
ひどく掠れた声だったが、それでもハッキリと呼ばれた自身の名に、ぶるりと肩が震えた。
瞼を限界まで見開いて、その姿を見つめる。
沸き上がる衝動に対して動きはひどく緩慢で、ただ呆然と見下ろしてしまう。
再び結ばれた唇に、もしまたその目が閉じてしまったらと怯え、なのに声を発することさえ出来ない。
ピクリと動いた指先。
人差し指、中指、薬指と連動するように動いて……伸びて。
それが自分に対してなのだと確信すれば、膝をついてその手を取る。
「撫子ちゃん。僕のこと、わかる?」
唇が震えて、音にならない声が「ええ」と紡いで。
なかば、とゆっくり紡ぐ口にホロリと涙がこぼれる。
もう二度と会えないと思っていた。
だって彼女は元の世界に帰ったから。
それは自然なことで、当然で、けれども忘れられなくて、ずっと想っていた。
力が入らないのか、それでも弱々しく指が絡め返される。
泣かないでーーそう言われているようで、へにゃりと下手くそな笑みを浮かべれば、また一滴頬を伝う。
「また君に会えて嬉しいよ」
そう告げると下がった眉が困ったように見えて、どうしてそんな反応をするのか不思議に思いながら微笑んだ。
→2話を読む
20210213