「―――あ」
ばったりと遭遇したのは、つい先日会った神賀先生の知人。
とてもまともな職業に就いている人とは思えない格好だが、先生の知り合いなのだからきっと怪しい人ではないのだろう。
だから、目が合ってしまった以上、無視をするわけにもいかず、撫子は目の前に立つ【ビショップ】に声をかけた。
「こんにちは。今日も神賀先生を尋ねていらっしゃったんですか?」
「――こんにちは。そう、ですね……彼がどこにいるのか、わかりますか?」
「今日は課題はないので、たぶん職員室だと思います」
「職員室……」
記憶を探るように目をすぼめる男に、撫子はまだ覚えていないのだろうかと見つめる。
以前会った時も、彼は校舎の中で迷っていたからだ。
「もう一度道順を説明しましょうか?」
「あー……大丈夫です。思い出しました。ありがとうございます」
「いえ……それじゃ失礼します」
「――ああ、ちょっと待ってください」
頭を下げて身をひるがえそうとしていた撫子は、呼び止める声に足を止めた。
「最近、あなたの周りで変わった人を見かけませんでしたか?」
「は?」
突然の質問に、とっさに答えることができずに撫子は目の前の男を見た。
怪しい人。
目の前にいるのが神賀先生の知り合いだと知らなければ、真っ先にあなたがそうですと答えただろう。
「で? どうなんですか?」
「……いいえ。見てません」
「そうですか」
どうしてそんなことを聞くのだろう? と疑問がわくが、そもそもこの人の存在が撫子にとっては謎だった。
最近毎晩見る不思議な夢で出会った人。
会ったこともないこの人が夢に出てくること自体不思議なのに、夢の登場人物が現実世界にいることもまた不思議で仕方なかった。
「ああ、その辺りは滑りやすくなっているようなので気をつけた方がいいですよ」
「え?」
今度こそ教室に戻ろうと思っていた撫子は、何気なくかけられた注意に振り返ろうとした瞬間――足元がずるりと滑り、尻もちをついた。
「忠告はしたんですけどね。大丈夫ですか?」
「は、はい。……っ」
転んだことが恥ずかしくて、急いで立ち上がろうとした瞬間、走った足首の痛み。
「お尻が真っ赤になりました?」
「ちが……! ……っ」
「……ふざけている場合じゃないようですね」
撫子の様子に異変を感じたのだろう、【ビショップ】は近づくと屈みこんで撫子の足を診る。
「……捻挫ですね。滑った時に踏ん張ろうとして無理をしたんでしょう」
「…………」
とっさのことで覚えていないが、彼の言う通りなのだろう。
ズキズキと痛みを訴える足首に、撫子はどうしようと眉を歪めた。
「……仕方ありませんね。どうぞ」
「――は?」
「おんぶですよ。その足じゃ一人で歩けないでしょう。――ああ、お姫様抱っこの方がいいですか?」
「一人で歩けます! ……っ」
「強情ですね。……ほら」
ひらりと手で促されて、撫子は観念してその背に身を預ける。
「……すみません」
「ここで怪我したあなたを見捨てたら極悪でしょう? それに、そんなことをしたら神賀先生に怒られますしね。で、保健室はどっちですか?」
軽々と撫子を背負いながら歩く【ビショップ】に、撫子は目の前をもふもふに遮られながら道順を案内する。
「…………」
「…………」
無言で運ぶ【ビショップ】に、撫子はどう反応していいかわからず、同じく無言を返してしまう。
(おぶわれたのなんて初めてだわ……)
赤子の時はわからないが、少なくとも物心ついてからおぶわれた記憶はなく、それが余計に羞恥を煽る。
夢の中では強引に腕を引っ張ったり、いい印象のないこの人におぶわれている事実も複雑で仕方ない。
それでも、広い背中はがっしりと引き締まっていて力強く、不思議な安心感も与えてくる。
(私、まだ夢を見ているのかしら?)
あまりにも現実離れした出来事にそんなことを思いながら、撫子は保健室に連れられて行った。 思いがけない出来事に、【ビショップ】の方こそ驚いていたのを彼女が知ることはない。