――3月8日は予定を空けておいて。
そうジョーリィに何度と告げていたが不安が拭えず、フェリチータは彼の私室と化している錬金部屋へと向かっていた。
元々ジョーリィの関心をひくものは彼女の父であるモンドとレガーロ島・そしてタロッコととても限られており、そこに彼自身は含まれていない。
きっと今日が自分の誕生日などということは覚えてもいないだろう。
その予想はほぼ確信であり、手にした物に視線を向けて小さくため息をつくと、人を拒絶しているような重々しい扉をノックした。
「どうぞ」
言葉とはまるで裏腹なぞんざいな返事に余計に心が沈む。
今、自分が成そうとしていることはまた余計なことだと言われてしまうのではないだろうか?
そう思うとドアを開く勇気がしぼんでいってしまった。
「……何をしている」
「あ……」
気配で訪れた者がフェリチータであることを悟っていたのだろう、ジョーリィが苛ただしげにドアを開け迎え入れる。
そうされては出直すことも出来ず、フェリチータは彼の横をすり抜け室内に入った。
「実験してたの?」
「ああ」
眼前に広がる普段と変わらない光景。
予想通りの嬉しくない状況に、手にした物を抱き寄せるときゅっと唇を噛みしめた。
「……ジョーリィ。私との約束、覚えてる?」
「約束?」
フェリチータの質問に怪訝そうに歪む眉。
そうしてしばらくの逡巡の後、ああ……とサングラスの奥の瞳が答えを宿した。
「そういえば今日は予定を空けておけと言っていたな」
「忘れてたの?」
「ちょうど研究が佳境に入ったところでね」
そんなことなど覚えていられない……そう、心の奥の呟きを耳にした気がした。
「……ジョーリィのバカッ!」
悲しみ、怒り、切なさ……それらの様々な感情が入り混じって胸の内で荒れ狂う。
フェリチータは手にした物を机に置くと、身を翻して部屋を飛び出した。
喧嘩をしたくて来たわけじゃない。
こんなことが言いたかったわけじゃない。
それでもそっけないジョーリィの態度にどうしてもいたたまれなかった。
一方、部屋に取り残された形のジョーリィは、フェリチータの突然の行動に虚をつかれていた。
「一体なんだというんだ……?」
モンド譲りの気性は時に驚かされるものがあり、あまり心揺らぐことのないジョーリィには理解し難いものだった。
それでも、彼女が何の理由もなくあのような行動をとるわけはないと、恋人となった今ならば理解できた。
だからその原因を紐解くカギとなるであろう、置き去りにされた物に手を伸ばすとその中身を確認した。
「……そういうことか」
箱に入っていたのは、二人で食べるのにちょうどいい大きさのケーキ。
そこに飾られていたチョコレートで出来た板には『Buon Compleanno』の文字。
ジョーリィは気持ちを落ち着かせるように葉巻の煙を一度吸いこむと、灰皿に押し付け立ち上がった。
そうして彼女の部屋へと歩いて行く。
もしかしたら別の場所にいるかもしれないが、今の彼女の状態ならば人目を避けて自室にこもっている可能性が高いだろう。
その憶測は外れることなく、ドアをノックすると息を飲む気配が伝わってきた。
それでも入室の許可を告げる声はない。
「入るぞ」
「………っ!」
一応断りをいれてからドアを開けると、ベッドの上のフェリチータが振り返った。
「まだ眠るには早い時間だと思うが?」
「……………」
拒絶の意を伝えるように再びベッドに顔を押し付け背を向けるフェリチータに息を吐き出すと、歩み寄り傍らに腰かけた。
「君が私の元を訪れたのはこのように私を拒絶するためではないのだろう?」
「……………」
「フェル」
愛称で呼ぶとぴくりと肩が揺れ、フェリチータがそっと身を起こした。
「ケーキではなく君の口から告げてはくれないのか?」
「……見たの?」
「置いて行ったのは君だ」
ジョーリィの言葉に、それでも素直におめでとうと伝える気持ちにはなれないのだろう。
視線を合わせないフェリチータに、ジョーリィはもう一度息を吐くと謝罪を口にした。
「……悪かった」
「え?」
「だから、約束を忘れて悪かったと言っている」
ジョーリィが謝るなど想像もしなかったのだろう。
瞳を瞬くフェリチータに、居心地悪そうに葉巻に手を伸ばし、火をつけようとしてやめた。
「私の方こそごめんなさい。喧嘩をしに行ったわけじゃないのに……それに、ジョーリィだったらもしかして忘れてるかも、って思ってた」
「容姿が不変になると年を重ねることに実感がわかなくてね」
「そうなの?」
「ああ」
実験で不老となったジョーリィに、そういうものかとフェリチータは己の認識の浅さを反省した。
「ジョーリィ。ブォン・コンプレアンノ」
心からの言祝ぎを口にして、ふわりと微笑む。
「生まれてきてくれて……ありがとう」
「…………!」
初めて聴いた言葉。
人から疎まれることはあっても、生まれてきてくれてありがとうなどと言われたことは今まで一度もなかった。
「ジョーリィ?」
茫然とフェリチータを見下ろすジョーリィに、彼女は不思議そうにことりと首を傾げた。
きっとフェリチータには分からないだろう。
それがどれほどジョーリィの心を揺さぶる言葉であったか。
「君は……本当に驚かせてくれる」
「ジョーリィ?」
「ご機嫌は直ったかな、お嬢様?」
「うん」
「では一緒にケーキを味見するとしようか。君が思いを込めて作ってくれたケーキを、ね」
「……そんなふうに言われると少し緊張する」
「おや? 自信があるのではないのか?」
「ジョーリィに気に入ってもらえる味かわからないもの」
人よりもかなり甘党であるジョーリィ。
彼に合わせて普段よりもずっと甘めに作ったために、大丈夫といいきれなかった。
そんな彼女にクックッと喉の奥で笑むと、腰に腕をまわして自分の部屋へと誘う。
「もちろん君の手ずから食べさせてくれるのだろう? アモーレ」