欲し望む

アサプラ3

朝、目が覚めて、すぐに感じた他者の気配に頬が緩む。
白いシーツに広がる柔らかな赤。
それらに埋もれるように穏やかに眠る大切な人。

「ん……」

視線に気づいたのか、瞼が震えて、ゆっくりと美しい紫が覗く。
その瞳が自分を捉えたのを見て、自然と微笑みが漏れた。

「おはようございます」
「おは……よ……う……」
「プライド様?」

途切れた挨拶に、瞼が限界まで見開かれて。
ぼんっ!と一気に赤らむと、プライド様は手元の布団を引き寄せ頭からかぶってしまった。
そのまま微動だにしない姿に呆気にとられる。
具合でも悪いのかと、「失礼します」と断ってソッと布団に手を入れ頭に手を伸ばすも、特殊能力を使う感覚が全くないことから病気ではないとわかり、肩の力が抜けた。
それではどうしたのかと考えていると、俺の心配が伝わったのだろう、もぞもぞと布団から顔を出して上目遣いに見ると、照れくさそうに理由を教えてくれた。

「その、ちょっと恥ずかしくて……アーサーと、未だ先だって思ってたから……」

ーーは? 未だ、先?
どういうことだろうとその意を考えながらプライド様の言葉を頭の中で反芻して、思い至った事実にサァ……ッと血の気が引いた。
俺をと、手首への〝証〟で望んでくれた。
ただそれは恋人らしい接触を求めただけで、艶めいた意図は全くなかった……らしいと。

「お、れ……とんでもないことを……っ!」
「え? アーサー?」

事の重大さに混乱する。
自分は婚約者で、プライド様と婚姻することはすでに定まっていたが、だからといって合意なく事に及ぶなどあってはならなかった。

「すンません……っ! 俺、とんでもない勘違いを……っ!」
「え? アーサー、落ち着いて。その、勘違いって?」

改めて問い返されると余計に犯した愚行に心苦しくなり、頭を下げて謝罪する。

「あなたが俺を求めてくれたンだと、そう思って……」

あなたを抱いてしまいました、と罪を告白する。
これで彼女に嫌われてしまっても、それは自業自得だ。
それでも彼女を恐がらせたくはないと、少しでも離れようとベッドの隅へ寄る。
断罪を待つように視線を下げて沈黙すると、ギシリとベッドが軋んで。
プライド様の指が頬を撫でた。

「私は嬉しかったわ」

伝わるぬくもりと柔らかな声に頭を上げる。
プライド様に怯えはなく、その顔は喜び、はにかんでいた。

「婚約者に決まってからもアーサーは全然変わらなかったから。だからもしかしたら無理して受け入れてくれたんじゃないかって、そう思っていたの」
「そンなわけありません……っ!」
「だから嬉しかったの」

頬から手を下ろすと、そのまま両手で俺の手を掴んでくれる。
その感触が夢でないと教えてくれて、強張っていた体から力が抜けた。

「ありがとう」

そんな、お礼なんていらないんです。
あなたが好きで、あなたが求めてくれたことが嬉しくて。
受け入れられたのが泣きたくなるぐらい嬉しかったから。

「あの、アーサーは嫌々婚約者になったわけではないのよね?」
「もちろんっす」
「だったら……もう敬称敬語は無しにして欲しいの」
「えっ」
「だってアーサーは私の騎士で……婚約者でしょう?」

ずっと前にも同じことは言われたが、プライド様は俺にとって神様みたいな存在だったから、どうしてもそうは出来なかったーーけど。

「ずっとステイルやティアラが羨ましかったの。それに少しだけ……寂しかったから」
「!!」

目を伏せ顔を曇らせる姿に思いがけない本音を知る。
プライド様だけは特別で出来なかった振る舞いが、彼女を寂しがらせていたのだと知って唇を結ぶ。

「プライド」
「!」

敬称なしで呼ぶとパッと顔が上げられて、頬が薄紅に染まる。
そして花がほころぶように微笑まれて、どくりと鼓動が大きく跳ね上がった。

「……っ、んな可愛いの……反則だろ……っ」
「アーサー?」

そんな嬉しそうに微笑まれたら、何度だって呼びたくなる。
でも今そんなことをしたらまた触れたくなって堪らなくなる。
朝の鍛練に向かわなければならないのに、もう一度彼女と褥を共にしたくなる……そんな思いを必死に理性で押し止めて、それでも顔が赤らむのは止められなくて、顔を背けて腕で隠す。

「あなたが、望むンなら……二人きりの時ならその、敬称なしで呼びます……」
「ええ。それでいいわ。敬語もね?」
「……うっす」

公式の場ではいくら婚約者とはいえ騎士でもある自分が敬称なしで呼ぶわけにはいかない。
それは当然プライド様も分かっていて、素直に頷いてくれた。

着替えを済ませて、プライド様の部屋を出ると、廊下を歩きながら次第に紅潮していく顔に、アーサーはその場に跪く。
アアアアァ~!と内心で叫びを堪えつつも、とても動揺を抑えられない。
何故なら昨夜、初めてプライド様に触れたのだ。
頬だけでない、唇もーーその先も。
白くて、滑らかで、柔らかくて、すっっっっごく綺麗で。
そしてーーめちゃくちゃ可愛かった!
赤らんだ頬も、潤んだ瞳も、こぼれる甘い声も、切なげに伸ばされた指先も、何もかもがあまりにも衝撃が強すぎて、途中からはただプライド様にツラい思いをさせないようにと、それだけを必死に考えていた。

『……好き……』
「ーーーーっ!」

今まで聞いたことのない声と、その時の姿が瞬時に脳内で再生されて頭が沸騰する。
綺麗な人だと分かっていた。
可愛い人だと分かっていた。
それでも、今までのどの時よりも綺麗で可愛くて、この人が本当に俺のもんなんだと思ったら泣きたくなった。
誰よりも近くにいたかった。 いつでも守れるように、あの人の傍にいたいと、そう願っていた。
聖騎士の称号を与えられ、その権利を得てあの人をもっと守れることが嬉しかった。
さらに誰よりも傍にいる権利を婚約者になって得て、けれどもいざその権利を得て変わったことと言えば、夜にプライド様の部屋を訪れることが可能になったことだった。
近衛騎士として今までと同じく任務につきながら、夜の一時も呼ばれれば彼女のもとを訪れることが出来、昨夜もそうして呼ばれ、部屋に行った。
ただ、プライド様に手を取られた辺りから元気がなくなり、表情が萎れていくのが心配で、何かしてしまったかと焦った。

ーーそれが俺が触れないからだとか反則だろ!

アーサーとて、そういう欲を持っていないわけではない。
ただ婚約者になる前の意識の在り方と同じく、恋愛対象として意識することなく、護衛として任務の意識でいた。
それがあんなにも彼女を不安にさせていたのだと分かって、己の不甲斐なさに落ち込むと同時に、誤解を解きたいと思った。
プライド様に魅力がないなんて、あるわけない。
婚約者に確定したことだって喜びこそすれ、迷惑などと思うわけないのだ。
なのに彼女は行動で示してくれた。
手首へのキスーー欲望を表すそれで。
唇が触れた瞬間、頭が沸騰して、真っ白になった。
プライド様が、自分の手首に証をと、それを認識しただけで茹で上がって理性は吹き飛んでいた。

かつて、ステイルと共に彼女の手首に誓いをたてたが、それは奪還戦の後、いつも自分を否定していたプライド様を繋ぎ止めたくて、あなたの存在が自分の全てだとわかって欲しくてしたものだった。
けれども今の自分達の関係で行う誓いは、そのときとは大きく意味が異なる。
欲望を表す手首のキスは、そのまま相手の全てを欲しいと欲するものなのだから。
プライド様が自分を求めてくれたと思ったら、触れないなんて出来なかった。
自分の英雄で救世主で神のような存在で。
けれども弱くて、可愛くてーー愛しい婚約者。
やべぇ、このままじゃこの後の演習にも支障が出ると、ハリソンさんが奇襲をかけてくれないかとそんなことまで考える。
昨夜のことを思い返すとどうしたって正常でいることは不可能だが、演習に遅れるなんてもってのほかで何とか意識の外に追いやる。
それでもーー。
この後どんな顔で会えばいいんだよっ!
近衛騎士になって彼女の傍に在ることを躊躇ったことなど一度もないのに、今日だけは動揺を抑えられる自信がなく、アーサーが死に物狂いで駆けて演習に間に合わせたのは、これからしばらく時間がたってからだった。

20210126翌日談追加
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