甘える

アサプラ8

演習中のアーサーに見惚れながら、内心で吐息をこぼす。
さすが攻略対象だからか、アーサーは本当にイケメンだ。
騎士団長が存命だからゲームのように騎士団長にはなっていないが、今の彼はゲームの彼よりずっと強い。
ラスボスの私を剣で圧倒してしまえた実力もそうだが、防衛戦で見せた弾丸を斬るなんて芸当はゲームの彼にはなかったのだから。
ひらり、と靡いた銀糸が目に映る。
ここもゲームとは違って、切ることなく伸ばされた髪は肩より長く、とても綺麗だ。
演習中に相手を見据える蒼の瞳は鋭く、ドキリと胸を高鳴らせるのに、私に向けられた今はやわらかな光を宿していて、その違いにこんなにも簡単に胸が暴れさせられる。
顔の造形は言うまでもなく、イケメン揃いの『キミヒカ』でも正統派イケメンとして人気が高かった。
こんな人に仕えてもらうなんて、私の方が分不相応だと思うほど攻略対象者たちは皆非の打ち所がないから、つい胸に手をやりため息をついてしまった。
レオンと婚約した頃には心許なかった胸も十八歳の頃にはラスボス設定らしく育ち、それだけは良かったと思えたけれど、相変わらずつり上がった紫の瞳は可愛げの欠片もなかった。
「お姉様?どうかなさいましたか?」とティアラに心配そうに問われて、慌てて何でもないのと笑みを浮かべて首を振る。
本当に、彼の婚約者が私でいいんだろうか。
絶えず浮かぶ思いは、自信のなさの現れだろう。
前世でも恋なんてしたことがなかったから、婚約者になってもどうしたらいいのかわからなかった。
けれども「私なんか」と卑下するのはやめた。
それは私を欲してくれたアーサーとステイルの二人を蔑む行為だからだ。

歩み寄る足音に、視線を向ける。
つい内へと意識がいって、演習が終わったことにも気づけなかった。

「お疲れ様、アーサー」
「ありがとうございます」
「すごく格好良かったです!」
「ありがとうな」

そう言ってティアラを撫でるアーサーに、わずかに胸が騒ぐ。
私には向けてくれない親しげな兄の顔。
婚約者になってもやっぱり私には敬語のままで、変わらぬ距離が少し寂しかった。

「プライド様? どうかしましたか?」
「いえ、何でもないわ」

こんなに傍にいて寂しいなんておかしいと、無理矢理自分を納得させようとしたのに、蒼の瞳にじっと見つめられて動揺する。
嘘を見抜いてしまう彼に、今は少しだけ困ってしまう。

「プライドさ……」
「私はそろそろ兄様達のところに戻りますね。アーサーとお姉様はもう少しゆっくりしていてください」
「なら私も……」
「いえ! せっかく珍しく公務がお手隙なのですから、お姉様はゆっくりなさってください」

それではと、城内に戻っていくティアラに、取り残された形のプライドは困ったようにアーサーを見る。

「ええと、アーサーは大丈夫かしら?」
「はい。この後は休憩ですンで」
「そう……」

逃げ場を失い、目が泳ぐ。
普段ならば近衛騎士として居てもらう時では雑談も出来ないので、こうして二人過ごせる時間は嬉しいのだが、今はどうしても気まずい。
だって、きっと彼には私の一瞬の気持ちの乱れを気づかれてしまっているから。

「それならお茶と、何か摘まめるものを用意してもらうわね」
「ありがとうございます」

いつもなら「いえ、お構い無く」と言われそうなのにと、内心ダラダラと冷や汗が流れる。
テーブルにお茶と、アーサー用に普段より少しどっしりとした具材のサンドイッチが並べられ、侍女のロッテとマリーが少し離れて控えたのを見届けると、蒼の瞳が向けられる。

「プライド様、何か俺に言いたいことがあるんじゃないですか?」
「別にそう言うわけでは……」

ないと、そう言いたいのに嘘ですよね?とスパッと言い切られて口をつぐむ。

「嘘じゃないわ。それに、前にアーサーから無理だって言われたもの」
「俺が、ですか?」
「ええ」

これは嘘ではないと、カップを手に取り口をつけると、アーサーの瞳が記憶を探るように泳ぐ。

「……もしかして敬語のことですか?」

正解に辿り着いてしまったアーサーに観念して頷くと、ボッとその顔が赤く染まる。

「それ、は、プライド様は第一王位継承者で、大恩人でーー」
「今は婚約者なのに?」
「ぐ……ッ」

少し恨めしげに上目遣いに見つめると、ますますアーサーの顔が赤くなって。
横に視線をそらして、ずるいと呟きが漏れる。

「アーサー? あの、ごめんなさい。子どもみたいにわがままを言って」

やはり第一王女ともあろうものが拗ねるなんて、婚約者として幼すぎて恥ずかしかったのかもしれないと密かに落ち込んでいると、違いますと否定が返る。

「その、プライド様が甘えてくれるのは嬉しい、ンで」

甘える?
告げられた言葉を反芻して、理解した瞬間顔が赤らむ。
そうか、これは甘えているのかと、自らの行動に今更ながら恥ずかしくなる。

「敬語は、すぐに直すのは難しいっすけど、その、二人だけの時ならもう少し砕けて話せるように、します」
「! 本当に?」
「はい」
「ありがとうアーサー!」

父上と母上も公の場と私的な場では話し方が違うので、それは当然だと頷くと、手を伸ばしてテーブルの上のアーサーの手を取る。
ティアラのようにというのは無理でも、せめて二人きりの時だけでも敬語を崩してくれるというのはとても嬉しい。
しかし、父上と母上のようにと考えて、ふと浮かんだことを口にする。

「なら私も『アーサー様』って呼ぼうかしら」
「そ、れは……勘弁して……くださ……っ」

ぐらりと身体を揺らすと、茹立ち湯気を立ち上げながら、どうかそれは……!と懇願される。
以前にも悪戯気分から一度様付けで呼んだことがあったが、やはり今のように倒れかけていたのを思い出してごめんなさいと謝る。
今は敬語を使わないようにしてくれるだけで満足しないと、あれもこれもと欲張りすぎだと自身を戒める。
でも彼から甘えることを許されたのが嬉しくてくすぐったくて幸せで、どうしても頰が緩んでしまう。
常に弟妹に恥ずかしくないようにと、しゃんとした姉で在ろうとしていたから、甘えるということが新鮮で、それがアーサーの『特別』になれた証のようでとても嬉しい。

「ありがとうアーサー」

大好きと心の中で呟きながら微笑めば、ぐらりと彼の身体が傾いで、慌てて手を伸ばすと自分で体勢を整えてくれたけど、その顔からはしばらく湯気が消えなかった。

20210619
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