幸せのなまえ

ロクナナ5

「嫌」

クローゼットの服を見ての妻のにべもない返答に、アルウェスはにこりと笑う。

「ふーん、そんなに嫌なんだ?」
「何よ」
「それはリリーが君に似合うって選んだものなんだよね」
「え」
「でも、君が嫌なら仕方ないよね。リリーには気に入らなかったみたいだって言っておくよ」
「ちょっ……本当にリリーが選んだの?」
「そうだよ」

愛娘の名にそっぽを向いていた顔がこちらに戻り、僕とクローゼットに視線が動く。
フリルとレースがあしらわれたワンピースは、真っ白で繊細な美しさがあるのだが、シンプルなものを好むナナリーには可愛すぎるのだろう。
けれどもその反応は当然予想していたので、真実を告げることで拒絶を封じた。

「……着る」
「そう。なら靴とかばんも用意しておくよ」
「そこまで用意してあるの!?」
「もちろん。ただ君が嫌がるなら無理にとは言わないよ」
「う~……どうせそれもリリーが選んだって言うんでしょ」
「うん。楽しそうに「母さまにはこれが似合うわ」って言ってたよ」

元々人の好意を無に出来ないのは優しい彼女らしく、はぁとため息をつくとクローゼットからワンピースを取り出す。
こんな可愛いの似合わないのに……との呟きに、本人はいまだに自分の容姿に対して過小評価しているのがわかるが、その方が余計な虫を払うのには都合がよく、あえて訂正せずにいた。
それでも寄ってくるものは、アルウェスが払えばいいだけだ。

彼女が渋っていた服は、結婚記念日である今日のために娘と用意したものだった。
普段はハーレの所長として忙しない日々を過ごしているが、今日ぐらいはゆっくりしてくださいと、職員達にも背を押されたらしい。
相変わらずハーレの環境は良いと、あの場所をこよなく愛する妻の努力に頬を緩ませると、じとりと視線が投げられた。

「いつまでそこにいるのよ」
「夫婦なんだし、もう構わないと思うんだけど」
「構わなくないわよ!」

親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ!と、顔を赤らめながら出ていけと訴えるナナリーに、アルウェスは微笑みながら夫婦の部屋を出る。
階下に降りるとリリーが待ち構えていて、「母さまは気に入ってくれた?」と聞いてくるのに頷き、頭を撫でた。

「本当に留守番しているの?」
「今日は父さま達の結婚記念日だもの。フェゼル達と遊んでるわ」

年のわりに物わかりが良すぎる気もするが、屋敷の者たちは皆アルウェスとその家族を大切に慈しんでくれているので、安心して娘を任せられる。
もう一度頭を撫でて抱き上げると、額に口付けて視線を合わせた。

「夕飯は兎鳥にしてもらおう」

そう言えば喜ぶのは妻譲りで、控えているフェゼルを見れば当然と言うように頭を下げられる。
実家にいた頃からこの老執事は大層優秀だった。
そうしてリリーとお茶を飲みながら他愛ない話をしていると、扉が開いてナナリーがやってきた。

「母さま綺麗!」
「あ、ありがとう。でも年甲斐なくない?」
「全然よ。むしろ母さまは普段からおしゃれしなさすぎなの。ベンジャミンさまを見習わなきゃ」

ナナリーの親友を引き合いに出されると反論出来ないようで、ナナリーはわかったと頷き、僕を見た。

「……変じゃない?」
「綺麗だよ。かばんも靴も似合ってる」
「そ、そう」

手放しの賛辞に弱い妻の頬を赤らめる姿に、娘と微笑み合う。
愛しい妻と娘、あたたかな使用人たち。
幸せな光景はずっとアルウェスが望んでいたものだった。

「行こう」

手を差し出すと、絡まる指。
跳ね返されることがなくなったのは、彼女との関係の確かな変化。
手を伸ばすことは許されないと、ずっと思っていたのに、諦めることも出来なかった存在。
ペストクライブを起こすほど心揺さぶられるのは、過去も今もただ一人、彼女だけだ。
似合うだろうと選んだワンピースは彼女をやわらかく彩り、彼のためだけに施された化粧に心が踊る。
行ってきますと娘とフェゼルに告げると、しっかり手を繋いで眩い光のなかに歩み出た。
幸せはいつも彼女が与えてくれる。

20201205
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