届かない

ロクナナ2

仕事終わり、いつものようにドルモットの店に流れることになって、ふと隣の店がやけに賑わっていることに気がついた。
裏町の中では珍しく純粋に酒を飲むことだけを目的とした店で、同級生の実家だというそこは料理が評判で、普段もそれなりに賑わいはあったが、今日はその比ではない。

「なんだ? デラーレがずいぶんと賑わってるな」
「出てきた客に聞いたら、良い女が入ったらしいですよ」
「珍しいな。ここの女将はそういう商売はしてないはずなんだが」

団長と部下の会話に店内に視線を向けてーー辺りの音が一瞬消えた。
記憶の奥深くにずっとしまわれた焦げ茶色の髪の女性。

「……ナイジェリー?」

もう何年も口にしたことのない名前がこぼれて、確かめるように目を凝らす。
デラーレの店の女性は髪を結い上げているが、ナイジェリーと同じ髪色で、瞳はーー。

「……!」
「今日はこっちにしてみるか。全員入るのは無理そうだな。ドルモットに行くやつは行っていいぞ」
「隊長はどうします?」
「僕はデラーレにするよ」

先に入った団長に続くと、全員が奥に座るには席が足りないと理由付けて女将に了承を得ると、彼女がいるカウンターへと歩いていく。
他の客の相手をしていて気づいていないようで、顔を向けずに様子を窺う。
碧の瞳。髪色は違うけれど、間違うはずもない。

「騎士ならドルモットの方がいいんじゃないかい?」
「今日はこういう綺麗な店で飲みたかったんでね」

この店が清潔に気をつけていることを指摘すれば、悪い気はしないのだろう、そうかいと女将は納得する。
会話をしながら彼女の様子を窺うも、視線がこちらに向くことはなく、下手くそな酔客へのあしらいに笑ってしまいそうになった。

(どうしてヘルがここに?)

あんなにも念願だったハーレに就職したのだ、転職というのはありえないだろう。
ならば何故と疑問が浮かぶ。
けれどもその疑問に解答を得るには目の前の光景が邪魔で、だんだんとしつこさの増す客に女将へと声をかける。

「彼女へお酌を頼めるの?」
「そういうサービスはしてないんだけどね。まあ、あんたは問題なさそうだし……」

チラリと隣を見て、常連客の調子に乗り始めた様子にやれやれと肩をすくめると、ウチの子になにしてんだとパチンと頭を叩いて彼女をこちらへ誘導してくれる。
いや、あの、と抵抗むなしく女将に連れられて来た彼女も、僕に気づいたらしい。
頑なに視線を合わせようとはせず、変装を見破られていないと思ったのか、不自然な話し方で対応してくるから、それに合わせながら言外にこんなところに居るなと伝える。
しかしどうやっても大人しく言うことを聞く気はないらしく、しびれを切らしてわざと色めいた対応をすると、見事に引っかかった彼女を外に連れ出した。
その手を取って壁に押し付けると、改めて彼女を見る。

(似てるーー)

結っていた髪は今はいつものように下りており、記憶の中の女性と面影が重なる。
焦げ茶色の髪に、碧の瞳。
解けない呪いをかけた大切なひと。
けれども、常に向けられている勝気な瞳がナイジェリーではないと伝えてくる。
出会ってから十年あまりが過ぎているのだ。
彼女のはずがない。分かっていたのに諦念と、別の苛立ちが沸いてくる。
はだけた服から覗く白い肩。
こんな場所であまりにも無防備すぎて苛立ちが増す。
もしも抱き寄せたら君はどうするのだろう。
そんなことを考える間もなく、罵声が飛んでくるのが想像できる。
触れることは叶わない。
彼女も、「彼女」も。
これからもずっとーー。

20201123
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