書庫で竹簡の整理をしていた柊は、ふと耳慣れた足音に気づき口元を緩めた。
そのまま最後の竹簡を棚にしまうと、入口へと視線を移す。
「今日の政務は終わったのですか? 我が君」
「うん。柊は?」
「今しがた終えたところです」
薄暗い書庫に差し込む黄金の光は、彼女だけが持つ神に選ばれた者の証。
ふわり、と金の髪を揺らして歩み寄る少女の手を取ると、傍らの椅子へと導く。
「柊はすごいね。足音だけで私が来たことがわかるんだもの」
「ふふ、いつでも我が君のお姿を求めておりますからね」
「……もしかして、私の歩き方ってうるさい?」
「そんなことはありませんよ。ただ、人にはそれぞれ癖というものがあります。自分ではそうとは知らずとも、ね」
「癖……だから風早もわかるのかな」
「そうですね。ただ、風早の場合はそれだけではないでしょうが……」
「え?」
「いえ、なんでもありませんよ」
同門の徒であり、彼女が肉親のように慕う存在が何であるのか、柊は知っている。
だがそれを千尋が知る必要はなく、口にするつもりもなかった。
「今日はいつにもまして軽やかなようでしたが、視察先で何かよいことでもありましたか?」
「うん!」
書庫へ歩いてくる彼女の足音の変化を告げれば、嬉しそうに破顔して。
袂を探ると、ふわり、と柊の目の前に紅色の花弁が舞った。
「これは……桜、ですか?」
「うん。視察に行った帰り道に咲いていたの。すごく綺麗だったから柊にも見せたいと思って」
「ふふ、あなたはいつも私を驚かせる……」
柊の瞳が未来を映さなくなって数ヶ月。
ずっと規定伝承に定められた運命を歩いてきた柊に、千尋が新しい運命を与えてくれてからは毎日が未知の連続。
けれどもいつだって幸福にあふれていた。
「今度一緒に桜を見に行こう? 忍人さんに桜の名所を教えてもらったの」
「それはいいですね。ああ、でも紅色の花の中を歩く我が君のお美しいお姿に、私の瞳は花を映さなくなってしまいそうです」
「もう……柊はすぐそういうことを……」
「ふふ、これが私のまごうことない本心ですから」
淡く色づいた頬に指を伸ばすと、あふれる愛おしさに導かれるままに口づけて。
腕の中にある幸福を確かめる。
「みんなも誘おうかな。忍人さんも桜が好きみたいだし」
「我が君はつれないお方だ。あなたと二人、桜を愛でる日に思いをはせていた私の心をいとも簡単に打ち砕かれる……」
「そ、そんなつもりは……」
「ふふ、戯言です」
「もう……」
「ただ、あなたと二人で桜を愛でたいと、そう思う想いは本当です」
千尋が柊に向ける想いが仲間と横並びのものだとは思ってはいないが、それでも告げた言葉は恋情ゆえ。
「……私だって柊と一緒なら嬉しい」
腕の中から返された言葉に口元を緩めると、そっとその身を抱き寄せる。
幸福はいつだって千尋という名をもっているのだから。