あなたを捕らえて捕らわれた

弁望72

湛快の招きを受けて、望美は弁慶と共に熊野に
来ていた。
歓迎の宴の席に並ぶのは弁慶の兄である湛快と、湛快の息子で現熊野別当であるヒノエ、そして
彼の幼馴染でかつて共に旅した仲間の敦盛。
望美の夫である弁慶は、着いて早々急病人の手当てに行っていた。

「弁慶さん、遅いですね」

「な~に、もうすぐ戻ってくるだろうよ。それよりちゃんと食べてるかい?」

「はい! どれもすっごく美味しいです」

「ふふ、姫君のために腕をふるわせたからね」

「ありがとう、ヒノエくん」

目の前に並んだ豪華なお膳に、望美はにこりと笑顔を浮かべた。

「やっぱり熊野は海の幸が豊富だね! お刺身、久し振りだから嬉しいよ」
「まだまだあるから、いっぱい食べなよ」
「うん!」

神子と八葉として旅していた時の望美の食べっぷりを知っているヒノエは、山と料理を用意していた。
そうしてしばらく和やかに語らい合っていると、湛快が顎をしゃくりながら望美を見た。

「――なあ、嬢ちゃん。一つ試してもらいたいもんがあるんだが」
「え? なんですか?」
瞳を瞬かせると、一本の瓶を持って女房がやってくる。

「それ……!」

「おう。以前嬢ちゃんに贈った異国の酒だ。
せっかく嬢ちゃんが来るんだからと、持ってこさせたんだよ」

「……ごめんなさい。私、弁慶さんと二人きりの時以外は飲んじゃダメって、弁慶さんと約束してるんです」

「なんだよ。あいつ、そんなに望美を束縛してるのかい?」

「そうじゃなくて……」
ちらりと視線をやると、敦盛が頬を赤らめ気まずそうに俯く。
以前、京邸で久しぶりの再会を果たした際、悪酔いして敦盛へと口づけてしまっていたのである。

「そうか、ダメか。せっかく嬢ちゃんのために、はるばる海の向こうから取り寄せたって言うのに……」
「え? あ、う……」

「ねえ、姫君? この『わいん』は、以前贈った物よりもさらに手に入れにくい代物なんだ。
せっかくお前のためにと苦労して手にいれた親父の想いを酌んでやってくれないかい?」

肩を落とした湛快に、すかさずヒノエが追い討ちをかける。
心優しい望美のこと、湛快の想いをむげにできるはずはないと確信して。

「……わかりました! 少しだけ飲ませてもらいます」
「そうか! ありがとよ、嬢ちゃんっ!!」
「あの、神子。いいのだ……」
「はいはい。さ、どうぞ」
心配して口を挟もうとする敦盛を除けて、さっさとヒノエはワインを注ぐ。

「ほ、本当に少しでいいんだからね」
「わかってるよ。お猪口一杯ぐらい、大丈夫だろ?」
「う、うん。多分……」

いまいち自分の可能酒量を把握できていない望美は、不安そうに杯に注がれたワインを見つめた。

(確か、前に弁慶さんと飲んだ時は、二杯ぐらいまでは大丈夫だったよね……?)

以前、望美の意識が保たれる量を見極めようと、少量ずつ飲んで弁慶によって限界を確かめられたことがあったのである。
その時のことを思い出し、気をつけながら口をつける。

「どうだ?」
「美味しいです!前のよりもあっさりしていて、飲みやすいですね」
「ふふ、そうだろ? ほら敦盛、お前も飲めよ」
「あ、ああ」

望美の様子を気にかけながらも、同じくワインを気に入っている敦盛が促されて口にする。
懐かしい記憶を呼び起こすその酒に、敦盛の顔が自然と綻ぶのを見て、望美は嬉しそうに微笑んだ。
怨霊として甦った事で、いつも遠慮がちな敦盛に、日頃から沢山幸せを感じてもらいたいと思っているのである。
そんな二人に気づかれぬよう、目配せしあうと、ヒノエと湛快はこぞって二人にワインを勧めだした。

「お前ばかり酌してないで、俺にもやらせろ」

「オヤジに注がれるより若い奴の方がいいに決まってるだろ?」

「か~! 男ってのは年取ってからの方が味が
出ていいもんなんだぞ。なあ、嬢ちゃん!」

「え? あ、そう、ですね」

「姫君に絡むんじゃねえよ。困ってるだろ?」

「そんなことないよなぁ?」

「は、はは」

二人に挟まれ、苦笑することしか出来ず。
知らず進んでいたお酒に、気づくと望美はすっかり酔っ払っていた。

「ふふ~♪ やっぱり美味しい~ですよね~」
目を細めてうっとりと呟く姿は、前に京邸で見たときと同じもので。
慌てる敦盛の前で、湛快はにやにやと顎をしゃくった。

「なるほど。嬢ちゃんは酔っ払うとこんなに可愛くなるのか。こりゃあ、あいつが見せたがらないのもわかるってもんだ」

「それだけじゃないんだぜ。ねえ、姫君?
俺のこと、好きかい?」

「ん~? 好きだよ~。だってヒノエくんは弁慶さんの可愛い甥っ子だもん!」

「――あ、そ」

望美の返答に顔をしかめるも、そっとその肩を
抱き寄せる。

「俺もお前が好きだよ? ずっと、ね」
そうして唇を重ねようとした瞬間、立ち上がった望美に空を切る。

「湛快さんもね~、弁慶さんの大切なお兄さんだから好きですよ~」
「俺も可愛い弟の嫁さんは大好きだぜ」
ごろにゃんと甘える望美に、鼻の下をのばして
湛快が抱き寄せる。

「おい、親父……っ!」
「――人の不在の間に望美さんに何をしてるんですか?」

抗議に立ち上がったヒノエの後ろから、ひんやりとした声。
その絶対零度を放つものが誰なのかは、後ろを
振り返らずともわかるもので。

「べ、弁慶殿っ! い、いや、これは……」
「よお。遅かったじゃねえか」
「チッ……いいところに」
舌打つ甥っこの足を踏みつけ、笑顔で湛快に絡みつく望美の元へと歩み寄る。

「いけない人ですね。僕と約束をしていたでしょう? さあ、こちらに」
「やです」
湛快の腕の中から取り返そうと手を伸ばすと、
思わぬ拒絶に目を見開いた。

「弁慶さんのところに行くと、もう飲ませてもらえないからやです~。せっかく湛快さんが私のためにって取り寄せてくれたんですよ~?」

「おうおう。いくらでも飲んでいきな。なあに、あいつに邪魔はさせねえさ」

「わあい!」

無邪気に喜ぶ望美に、弁慶は差し出した手を戻すと、くるりと背を向けた。

「――そうですか。ではご自由に」
そうして広間を横切ると、御簾をくぐって出て
行ってしまった。

「弁慶さん?」

「お? すねやがったか?」

「へえ。あいつが感情を露わにするなんて珍しいね」

「み、神子。弁慶殿の後を追われた方がいいんじゃ……」

「いいって。飲みたくない奴は放っておけ。
さ、飲みねえ!」

「う、うん」

出て行った弁慶を気にかけつつも、湛快の酒を
断れずに杯を受ける。
戻ってくることを期待していたが、弁慶が来る様子はなく、望美の眦に涙がたまる。

「神子!?」
「親父、姫君に何しやがった?」
「俺は何もしてねえぞ。どうした、嬢ちゃん?」
「……弁慶さんに嫌われちゃった~」

べそべそと泣く姿は、母親に置いていかれた子供のようで、ヒノエたちは顔を見合わせるとはあ~とため息をついた。

「あいつなら自分の部屋に戻ってるよ。いきなよ」
「うん! ありがとう、ヒノエくん」
烏の報告を伝えると、望美が危なっかしい足つきで追いかけていく。

「神子は大丈夫だろうか」
「俺らがついてったら余計こじれるだろ? まったく、あのオッサン年甲斐もなくすねやがって」
「わざと煽ったのはお前だろうが」
「親父だろ」

望美可愛いの3人が、彼女の涙を見過ごせるわけもなく。
結局掻っ攫っていく男の姿を思い浮かべて、自棄酒を煽るのだった。

* *

ふらつく身体でなんとか部屋にたどりつくと、
一瞬の躊躇いの後に中へと入る。
視界に映るのは、こちらに背を向けたままの弁慶の姿。
いつもならば足音だけでその存在を察して振り返ってくれるのに、今日は全くの無反応。
それははっきりとした拒絶で、望美はなんと声をかければいいかわからずに、その場に立ち尽くしてしまった。

「宴会は終わったんですか?」
「い、いえ。私だけ抜けてきたんです」
「どうしてです? あの異国のお酒を飲みたかったんじゃないんですか?」
「………」
振り返らずに答える弁慶の声は冷たくて。
望美の瞳に、じんわりと涙が浮かんできた。

「ごめ……な……さい……っ」
こみあげる涙を必死に我慢して謝罪を口にすると、大きなため息の後に、ようやく弁慶が振り返った。

「……君はずるい人ですね。そんなふうに泣かれたら、これ以上意地悪できないでしょう?」
「ごめんなさい……」
ただ謝る事しか出来ない望美だったが、次の弁慶の言葉にぴくりと顔を強張らせた。

「それで、今日は誰に口づけを? 兄ですか? ヒノエですか? それともまた敦盛くんに……」
「そんなことしてませんっ!」
はっきりと否定するも、弁慶の表情は冷たい。

「それは確かに以前、酔って敦盛さんに……しちゃったこともありますけど……。でも、今日はそんなことしてません!」

「本当ですか?」

「私のこと、信じられないんですか?」

「君は酔うと記憶がなくなりますからね」

「………っ!!」

確かな前科があって、弁慶が疑うのも仕方がない。
けれども、大好きな人に信じてもらえないのは
悲しくて、悔しくて。
きゅっと唇を噛むと、くるりと背を向けた。

「望美さん?」
「信じられない私となんか一緒にいたくないでしょ? ――ヒノエくんに別の部屋を借ります」
そうして部屋を出て行こうとする望美の手を掴む。

「落ち着いてください。……すみません、言葉が過ぎました」

「弁慶さんは悪くないです。一度とはいえ信頼を裏切った私が悪いんです。だから今日は別々にしましょう」

「望美さん」

頑なに出て行こうとする望美に、弁慶はその手を離さない。

「弁慶さんは不実な私のことなんか嫌いなんでしょう? だったら手を離してください!」
「嫌いなわけないでしょう!」

感情のままに叫ぶと、同じく怒鳴り返されて。
絡み合った視線の強さに、共に息を呑んだ。

「かけがえのない存在なのだと……どれほど伝えれば分かってくれるんですか? 君を手放すことなんて、僕に出来るはずがないんです」

「私だって……弁慶さんが大好きなんです。離れたくなんてないよ……っ」

ぽろぽろと溢れ出した涙に、手を引き胸の中へと抱き寄せた。

「――信じてますよ。君が愛してるのは、僕一人だと。すみません、意地悪でしたね」

「ううん。私が約束破って、弁慶さんを怒らせたのが悪いんです。ごめんなさい」

互いに謝って、ようやく笑顔が浮かんでくる。

「もう出て行くなんていいませんね?」
「はい」
問うと、恥ずかしそうに頷く望美に、にこりと
微笑みその身を抱き上げる。

「べ、べ、べ、弁慶さんっ!?」
「僕がどれほど君を愛しく想っているのか分かってはいないようですから。一晩かけて教えて差し上げますよ」

にこり。 満面の笑顔に顔が引きつる。
もうわかってますから! おろしてー!
真っ赤な顔での望美の抗議もなんのその、甘く甘く、夜は更けていくのであった。
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