無垢ゆえの理不尽

弁望122

最近話題なのだというその映画を、望美が観たいと言うので付き合った帰り道。
映画の後から口数が減ったことは分かっていたが、まさかそんな提案をされるとは思ってもみなかった弁慶は、現状に戸惑っていた。
本来ならば無理だと断るべきだっただろう。
だが彼女が望んだとはいえ、ホラー映画が苦手だったと知った今では、彼女の願いをどうにも断れなかった。
何故ならそんな時に限って、彼女の両親が揃って旅行で家を空けており、ここで自分が断れば、彼女が逃げ込むのは隣の有川兄弟の所だと想像がついたからだ。
だがいくら幼馴染とはいえ、年頃の彼らと一晩過ごさせるというのは、恋人として選択出来ようはずもない。
ならば道は一つーー弁慶が彼女の家に泊まるしかなかった。

だが、さらにここでまた予想外の要求をされた。
並んだ布団に訴える眼差し。
普段の彼女らしくない、震える声で乞われては否など唱えられようもなかった。
努めて平静を保ち、彼女の隣の布団に寝転ぶ。

「じゃあ電気を消しますね」
「ええ。君がまだ怖ければつけたままでも構いませんよ」
「いえ、それじゃ弁慶さん眠れませんよね」
(どうせ眠れないと思いますが……)

望美の言葉に内心で返すと、暗くなった室内に一先ず目蓋を閉じた。
するとわずかな間の後に、もぞもぞと衣づれの音がして、近寄る気配に目を開く。

「望美さん?」
「その、そっちにいってもいいですか?」
「怖いなら電気を……」
「いえ、弁慶さんに引っ付いてたら大丈夫です」

何がどう大丈夫なのかと唖然としている間に、めくられた布団から望美が入り込んできた。
はぁとため息をつくと、暗闇の中で望美が視線を向ける。

「すみません……狭いですよね」
「……そうですね」

問題はそこではないのだが、申し訳なさそうにしながらも、布団を出ることを選べないらしい望美に折れるしかない。

「怨霊と戦っていた君が、あのような作り物にそこまで怖がるとは思いませんでした」
「怨霊は怖いと思う前に戦わないと死んじゃう状態だったし、朔や白龍もいたから」
「そんなに苦手ならば、何故今回観ようと思ったんですか?」

一人で眠れなくなるほど苦手ならば何故わざわざと、当然の疑問を口にすると望美が口を結んで、チラリと上目遣いにこちらを窺う。

「その……彼との仲を深めるのにいいって、友達に薦められたんです」

はぁ、と再びため息をこぼす。
仲を深めるとはどこまでを望んで彼女は口にしたのか。
同衾したこの状態でそれを告げる危険を、まるで理解していないことに寝返りをうつと、その頬に手を伸ばした。

「それは誘っているんですか?」
「え?」

指先でふっくらとした唇を撫でると、彼女の肩が跳ねる。

「君が僕と肌を触れ合わせることを望んでいるのだと、そう解釈しますよ」
「……っ!」

するりと首筋に手を滑らせると詰めた呼吸に、自身の言動を省みさせる。
これまでも望美に触れたいと、思わなかったわけではなかった。
それでも現状では弁慶に彼女を乞う資格はなく、まずは生活の基盤をと資格を取り、次のステップに踏み出したばかりだった。

「この世界には君のご両親がいて、君を託すのに相応しいと思う材料を現在僕は持ち得ません。ならばそれまで安易な行動は慎むべきだと戒めてきましたが、それを君は不必要だと思うんですね」
「い、いえ、そんなことは……っ」
「君を求めることは容易く出来ます。今だって衣の内に手を伸ばせばいい」

そう囁いて彼女の寝衣のボタンに指をかけると、大きく身体が震えたのが見えて、小さく吐息をこぼして額が触れ合う程に顔を近づけた。

「……僕はそんなに君を不安にさせているんですか」
「え?」
「確かに最近は勉強に追われて会う時間が減っていましたね。……ですがそれで身を投げ出すのは、あまりに浅慮です」

そう告げればキュッと唇が結ばれて、俯いた彼女の背に腕を回す。

「望美さん、僕は君が好きです。この世界に残りたいと思うほどに」

黒龍の逆鱗は壊れ、白龍も力を取り戻したとはいえ、あの世界に弁慶が為したことは重く、一生をかけて償わなければならなかった。
なのに彼女に手を伸ばさずにはいられなかった自分は、やはりどこまでも咎人なのだろう。
恋を知らず、初めて得た想いを捨てられず、彼女の隣に在りたいと望みもがく。
それがどれほど愚かでも諦めようとは思わないのは、この想いが永を望むものだから。

「ねえ、望美さん。僕は君を置いてあの世界に戻ることはありません。それでもどうしても不安だというなら――共に暮らしますか?」
「え?」
「結婚前に同棲というのも手段の一つかと。ただ僕の理性がどこまでもつかは、約束出来かねますが」

軽く触れ合うだけの口づけを唇に落とすと、望美が困ったように眉を下げる。

「あの、今日は添い寝だけで……いいですか?」
「そうですね……僕の理性が強いといいのですが。ーーふふ、冗談です。君が望まぬ限り手は出しません」

そう答えるとあからさまにほっとし、身体の力を抜いた彼女を宥めるように、とんとんと優しく背を撫でると、しばらくの後に聞こえてきた寝息に伏せていた目蓋を開く。
無垢で幼いとさえ言える彼女の性根は、この平和な世界で両親や幼馴染に大切に育てられた証なのだろう。
好いた男を前に、こうも無防備に眠れてしまうのだから。
気配を探り、眠りが深いことを確認して布団を出ようとして、衣を引かれ驚く。
視線を落とすと、小さな握りこぶしがあり、それが弁慶が離れることを拒んでいるのに、こぼれそうなため息をのみこんだ。
やはり今夜は眠ることは無理そうだ。

「今夜の代償はいずれ必ずもらいますからね」

据え膳、生殺し。
現状を指す言葉が頭を巡るのをしっかり記憶すると、髪の合間から覗く耳をゆるりと撫でる。

「無垢も過ぎれば立派な凶器ですね……」

燻る熱を吐息に乗せて逃がすと、暗闇に目を伏せた。
翌日、目覚めた望美の悲鳴に理不尽さを込めて、じとりと見つめたのは当然だった。

20220227
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