秘める

弁望120

どうしてあの時安易に開けてしまったのかと、今更ながらに後悔する。
そもそも森の中に何故ドアがあったのか。
あまりにも見慣れたそれは、けれどもこの世界では存在しないもので、ぽつんとドアだけが立っている光景はとにかく不自然だった。
某漫画のアイテムかと思うぐらいただのドア。
手をかけたのは出来心か、好奇心か。

「望美さん!?」

聞いたことのない焦ったあの人の声に振り返ろうとした瞬間にドアが勢いよく開いて、吸い込まれるようにその向こう側へ倒れていく。
わあっ!と反射的に悲鳴を上げて、次に来るであろう痛みに備えるも、感じたのは薬草のにおいで。

「大丈夫ですか?」

わずかに呼吸を乱し覗き込む目の前の人に、遅れて抱き寄せられていることに気がついた。

「だ、大丈夫、です」
「良かった。しかしこれは……」
「え?」

曇った声に視線を追って辺りを見ると、そこは真っ白な空間で、瞳をパチクリと瞬く。

「な、何ここっ!?」
「入口もなくなってますね……」
「あ、ほんとだ!」

先程手をかけていたドアが綺麗に消え失せていて、自分達以外存在しない空間に混乱する。
ーーと。

「あれ?」

床に何かがあるのに気がついて、歩み寄ると手に取る。

【意中の人に壁ドンされて、耳を舐められて耳元で囁かれ続けないと出られない部屋】

「はあ!?」

書かれた文章に目を見開くと、横から覗き込んでいた弁慶が眉を寄せる。

「この『壁ドン』と言うのは何のことでしょう?」
「ええと……ちょっとこっちに来てください」

とりあえず手を引き壁際まで寄ると背にして立って貰い、えいっと顔の傍に手を置く。

「これが壁ドンです」
「なるほど……では次はこちらですね」

いつの間にか抜き取られていた紙を示されて、文章を確認するのとほぼ同時に「すみません」と断られて耳に濡れた感触とぬくもりに肩を震わせる。

「…………っ!?」
「後は最後の要求ですね。ああ、離れてはいけませんよ。『続ける』とありますから」

肩を抱き寄せられ、頬を包むように添えられた手に、顔が熱くなる。

「弁慶さん、近いです!」
「怨霊の仕業か結界か……どちらにせよこちらに打開策が見つからない以上、要求に従って様子を見る方がいい」

漫画などで一時期話題になった『~しないと出られない部屋』が頭をよぎるが、怨霊にしろ人的要因にしろおかしいよね!?と焦りしかない。
だって、この人がこんなに近い。
しかもさっき躊躇うことなく耳を舐めてーー。

「…………っ」

思い出すと顔がさらに赤らむ。
何であっさりあんなことを出来るのか。
確かに訳のわからないこの状況で提示されてるものがあるなら、それが実行可能なら試してみる方がいいだろう。 いいだろうが!

「しかし不思議ですね。怨霊にしろ結界にしろ、どうして君の世界の言葉を知っているのか……」
「そ、そうですね」
「まさか白龍の悪戯と言うこともないでしょう」

可能性を考慮する弁慶に、けれどもどうしても落ち着かない。
せめてもう少しでも離れられればいいのに、たいして力を入れてるようには見えないのに全然身動ぎ程度しか出来ないのだ。

「僕に触れられるのは嫌ですか?」
「ちが……」
「なら僕は君を離したくない」
「!?」

聞き違いかと思う言葉に、けれども肩だけでなく抱き寄せられて混乱する。
こんなのまるでーー。

「解けたようですね」

スッとぬくもりが遠のいて、遅ればせで景色が変わったことに気がついた。 辺りを見渡し、気配を探る弁慶を呆然と見る。
普段通りの彼に、先程のことはまるで白昼夢のように感じて思わず手をのばす。
けれどもーー。

「皆が来たようですよ」

触れる前に告げられた言葉に耳をすますと、こちらに駆けてくる複数の足音が聞こえた。

「神子!」
「先輩!」
「望美……良かった、無事だったのね。白龍が望美の気配がこの世界にないと言うから探していたの」
「でも神子の傍に弁慶がいるのがわかったから。神子は八葉が守るから大丈夫」
「一体何があったんですか?」

白龍に譲、朔に次々と声をかけられ説明しながら、ふと弁慶を目で追う。

『僕は君を離したくない』

あれは夢だったのか、現実だったのか。
確認したくても彼は九郎の方へ歩み寄ってしまい、問うタイミングを失ってしまった。
そんな望美の思いに気づきながら、あえて弁慶はそれを問うことをさせなかった。
【意中の人に】ーーその後の要求の前に書かれていた一文を望美は見落としていた。
それを密かに弁慶が試していたことも、彼女は気づいていなかった。

「ーー気づかなくていい」
「弁慶? 何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」

低くこぼれた呟きを、けれども流し胸の奥にしまう。
揺れる感情などなくていい。
この先が交わることなどないのだから。
己がなそうとしていること……それが叶えばこの身がどうなろうと構わないと、そう決めていた。
そう、揺れることなど許されない。
己は咎人なのだから。
一度目を伏せると揺れる感情を宥めて、望美に背を向け宿へと歩いていく。
追う視線を感じ続けながらーー。

20210625
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