有耶無耶な始まりの先は

弁望118

終わった、と思った。
変わった、と思った。
弁慶さんは生きていて、彼が命を捨ててまで望んだ応龍も復活した。
白龍の力も戻って、神子としての役割が終わったのだと、そこまで考えが及んだ時に、思いがけず弁慶さんにこの世界に残って欲しいと乞われた。
始めに浮かんだのは疑問。
何で弁慶さんが私を?って、ただ不思議で、呆然と彼を見つめてしまった。
だって好きだなんて、そんなそぶり今まで感じたこともなかった。
彼が生きて幸せならそれでいいと、それしか考えていなかったから、彼が振り向いてくれるなんて思いもしなかった。

「僕は君を離したくない」

彼らしくなく、どこか弱くも感じる声に肩が震えた。
私をこの世界につなぎとめるためにどんな手段を使おうか、そんな謀をめぐらすのだと話す彼が信じられなくて。
まさか、どうしてーー本当に?
本当に、私はこの手を取ってしまってもいいの?
ぐるぐると溢れる戸惑いは、それでも彼の言葉で消えてしまった。

「僕は、君が好きなんです」

弁慶さんが、私を、好き。
溢れたのは喜びか、戸惑いか。
それでも、思考を理解するより先に、私は頷いていた。
心が、彼の傍に居ることを選んでいた。





「でも弁慶さん、あの時私のこと本当に好きだった訳じゃないですよね?」

話の流れで当時のことを振り返り、問われた弁慶はふふっと微笑むと、そうですねとあっさり認めた。
そう告げると、彼女の顔に浮かんだのは呆れでも怒りでもなく、納得で。
つくづく信用がないと笑うと、弁慶さんのせいじゃないですかと、正しく僕の考えを見抜いた指摘に素直に頷く。

「僕は君のことが理解できなかったんです。自分を危険にさらしてまで時空を遡った君のことが」

だって僕は一度ならず君を騙してきたから。
そんな僕に何故命を預けられるのか、本当にわからなかった。
それなのに、人を信じることができなかった僕があの時、君を信じた。
あるはずのない八咫鏡。
未来を見たと語る君の嘘偽りのない瞳。
到底信じられない話なのに、間違えることなんて出来ない局面で、それでも僕は彼女を信じた。
それが僕自身わかっていなかった奥底の想いからだったのだろうと、そう思ったのはずいぶん後のことだった。

「僕は思いのほか勘の悪い人間だったようです」

君の真意を疑っていた。
理解できなかった。
だってそれは僕にはなかったものだから。
人を信じることもーー愛することも、君が僕に教えてくれた。

「あの時、君が残ってくれて本当に良かった」
「もし私が断ってたらどうしたんですか?」
「そうですね……きっとずっと後に悔やんで滂沱の涙に溺れていたでしょうね」

僕は鈍いですからと、他人事のように笑うとため息をつかれて、僅かな隙間を詰めて彼女の頬に手を添えた。

「僕は君が好きなので」

間近で囁くと頬が桜色に色づいて、手のひらに伝わる熱に目元に口づけを落とす。
愛しいと、その感情に揺さぶられて触れて、尽きることのない想いがたまらなく嬉しい。

「まだ僕の言葉は信じられませんか?」
「……っ、信じてます」
「それは良かった。また平和な世に飽きた、なんて考えてると思われるのは心外なので」

言外に先日のやり取りを匂わせると、あれは!と慌てる姿が愛しくて、もう一度眦に口づけて唇をやんわり指で撫でる。

「君との日々に飽きることなんてありませんよ」

何気ない一日でさえ、こんなにも愛しいのだから。
世界は鮮やかで美しいと、君が教えてくれた。
君に彩られた世界を歩むことはこんなにも幸せだから。

「望美さん、愛してます」

彼女以外に告げたことのない言葉を惜しみなく捧げて。
頬と同じく色づく唇に触れるともう言葉は不要だった。

20210211
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