想い、時空を駆ける

弁望117

「ねえ、望美。帰りにスタバ寄ってかない? 新作ドリンク飲みたいんだ」
「あ……ごめん。また今度でいいかな」
「もう~ここのところずっとそうじゃない」
「ごめん」

拗ねる友人に謝り別れると、帰路を一人歩いていく。
譲にも一緒に帰ろうと誘われたが、部活があるのに自分を気遣っているのだとわかったので、友人と約束があると偽って断った。
幼なじみにも友人にも心配をかけてることはわかっていたが、どうしても気持ちを切り替えられなかった。
気を抜くといつだって考えるのはあの世界のことで、胸元にしまわれた逆鱗に触れては思いを馳せる。
あれから皆はどうしてるのだろう。
平家と決着がついたから、戦は終わったのだろう。
ヒノエは熊野に帰ったのか。
そういえば助けてくれてありがとうと、お礼も言えてなかった。
朔や仲間と別れの挨拶さえしていなかったと、今頃になって気がついた。
横を走る車を見て思い出すのは、京での弁慶との会話。
江ノ島の展望灯台に電車……文明の差はあの世界ではまるで天界の話のようだと、目を丸くして驚いていたのを思い出して微笑むと、つきりと胸が痛んだ。

(一緒に見れるって思ったのに……)

決戦前夜、もしも弁慶と一緒に帰れたらと話したことで、平家との戦が終われば共に来てくれるのだと勘違いしていた。

(弁慶さんにそんな気なんてなかったのに)

あの日、戦が終わった直後、彼は帰るように迫った。
清盛によって留められていた五行が流れ、白龍の力が戻り、神子の役目は終わった、と。
ならば共にと差し出した手は振り払われ、自分にはまだやらなければならないことがあると言う彼に、それなら私もと続けた言葉は遮られてーー拒否されて。
戦が終わればもう私に用はないと……切り捨てられた。

きゅっと唇を噛むと、止まっていた足を動かす。
私はもう神子ではなく、ただの女子高生。
勉強をして、友人と遊びに行ってーーその先は?
よぎった疑問に答えはでない。
今はただ目の前の日常を過ごすことで手一杯だった。

* *
望美を元の世界へ帰し、軍を率いて京へ戻ってからすぐに仲間はそれぞれの居場所へ戻っていった。
ヒノエは熊野に、敦盛はリズヴァーンと鞍馬に、そして景時は鎌倉へ呼ばれ、朔も追随していった。
九郎と二人、京へ残った弁慶はかねてから集めていた情報から危惧していたことが確実となったことに眉を寄せた。
景時だけが鎌倉へ呼ばれたことに懸念を抱いていたが、やはり頼朝は九郎を排除する意向を固めたらしい。

「まずは平泉にたどり着かねばなりませんね」

早くから逃亡場所については考えていたが、やはり鎌倉との戦が避けられない以上、候補は限られてしまった。
秀衡殿には申し訳ないが、こうなっては九郎を受け入れてくれるのは平泉だけだった。
時間も、もうない。
鎌倉に動きを悟られる前に動かなければ、平泉にたどり着く前に捕らわれてしまう。
五条の者たちには多めに薬を渡しておいた。
後は九郎をどう説得するか。
そのままを伝えれば、兄を慕う九郎が受け入れるわけがなく、だが差し迫るのを待っていては手遅れになる。

「やはりあのとき君を帰して正解でした」

ふと感じた花の薫りに思い出す少女。
勇ましく戦う姿につい戦女神などと呼んでいたが、清らかであたたかなその人は戦場になど本来あるべきでなかった。

「これ以上、君は血なまぐさいことに巻き込まれることはない」

そうあってはいけないと、心に誓った思いに目を伏せると、別れたときの悲しげな表情に胸を押さえる。
泣かせたくなかった。
ただ役目は終わったのだと、笑顔で送り出せたら良かったのに、自分がしたことは半ば脅すように帰れと突き放すことだった。

「確かにヒノエの言う通りですね」

今ならもっと要領よく振る舞えたのではないかと思うが、あのときはああすることしか出来なかった。
まさか自分を制御出来ないなど初めてで、もしも彼女と共に在れたならと、わずかでも思ってしまったから。
けれども、もう望美が自分達に追随する必要はない。
してはいけない。
この先はきっとーー。
きゅっと唇を引き締めると、急ぎの文を九郎にしたためる。
少しでも彼が生き残る道があるなら、諦めることは出来ないのだから。

* *
戻ってきて二月余り。
いまだ心ここにあらずでテレビを観ていると、思いがけない名前を聞いた。
源義経ーーこちらではそう呼ばれている九郎と弁慶。
特集されていた世界遺産で有名な平泉で、頼朝に追われた彼らは最期を向かえたのだと、そう耳にした瞬間駆け出していた。

「譲くん!」
「先輩? そんなに慌ててどうしたんですか?」
「弁慶さんが……義経と弁慶が頼朝に追われて、平泉で死んだって本当なの!?」

隣家に飛び込むや問うと、目を丸くした譲が眉を寄せ、眼鏡のフレームに触れながら目を伏せた。

「……はい。壇之浦の戦いが終わった後に頼朝と対立して追われ、最期は平泉で死んだと言われています」
「そんな……」

思わぬ肯定に思い出したのは弁慶の言葉。

『鎌倉殿は全てを覆うまで勢力を拡大しようとするかもしれない。ーーどちらにしても次の戦が始まる公算が高い』

確かにそう言っていた。
なら、望美をこの世界へ帰したのはまさか。

『これ以上、僕は君に傷ついてほしくないんです。だから、お別れです。今までありがとう』

弁慶は、わかっていた。
戦がまた始まることを。
そしてそのとき、自分達がどうなるのかを。

「……ぅ……っ」

どうして、と問いたかった。
戦が終わったらいつか話したように町を案内したいと、他にも彼が興味をもったものを色々見せてあげたいと、そう思っていた。
なのに一人で帰れと、役目はもう終わったのだと、これ以上在ることを拒む彼の意思が揺るがないと嫌でもわかって。
怒っても泣いても彼が意見を変えることはないと……もう自分はいらないのだと、そう思って言われるままこの世界に帰ってきた。
でもそれは、私を守るため。

『僕は、君を守るためなら何でもすると言いましたね』

そう、彼はそのとおりに私を帰した。
安全で平穏なこの世界に。
これ以上、戦に巻き込まないために……私が元の世界へ帰れるように。
ポツン、と眦からこぼれ落ちると、次から次へと溢れ出す。
止まらない涙は後悔から。
優しいあの人の真意をわかってあげられなかった。
優しいあの人を……見捨ててしまった。
取り消すことのできない過ちに嘆くことしかできなくて、嗚咽が肩を、全身を震わす。

「弁慶、さん……っ」

どうしてあのとき、嫌がられても残らなかったのか。
傷ついたのは私じゃない。
私を傷つけ、それ以上に彼は苦しかったのに、私は私のことしか考えられなかった。
義経を守ったとされる矢をいくつも射かけられた弁慶の絵。
もしもあの絵のように弁慶も矢を受けていたら?
あんなに沢山、一人でーー!!

「先輩!」

ガクガクと震え、膝から崩れ落ちかけた身体を支えられる。

「行くんですよね」
「…………え?」
「九郎さんと……弁慶さんを助けたいんですよね」

譲の言葉が止まりかけた思考を揺り動かし、無意識に首から下げた逆鱗に手をやる。

「助……け、る」

助けられる?
彼らを……彼を。
呼応するように手の中で音を発する逆鱗に震えが止まる。
助ける。
私は、助けられる!
意思を宿して譲を見上げると頷かれて、光を発する逆鱗に願う。
どうか、私をもう一度あの世界へ。
大切なーーあの人の元へ!!

* *
降る雪に、呼び起こされた思い出が、弁慶の心をわずかにあたたかくする。
遠い夏の、彼女との記憶。
病に浮かされ、それでもそれはあたたかく幸せな思い出だった。
訝しむ兵に首を振ると、指示を伝えて迫る鎌倉の軍勢に備える。
名君と名高い秀衡も、いまだ勢いの衰えぬ鎌倉をこれ以上抑え込むことは難しいだろう。
この平泉以外に逃れられるとしたらーー。
わずかな希望も、けれども時間が足りない。
彼ならば或いは応えてくれるかもしれないと文を送ったが、ようやく得た安住の地に新たな火だねとなる可能性のある九郎を受け入れてくれるか。
そしてもしも受け入れられたとして、そこまで九郎を送り届けるのはーー自分には出来ないだろう。
だから、最後の策だと偽って九郎を逃して一人立った。
もしも九郎が彼の地に逃れられたとしても、そのままではまた追手がつく。
ここで討ち取られたのだと欺けなければ、生き残る道はない。
そのためには、自分が共に在ってはならない。
腹心が不在であっては首の信憑性に欠ける。
九郎が生き延びるためには、自分がここで討ちとられる必要があるのだから。
矢がいくつも射かけられ、白い雪が赤く染まる。
終わりだと、そう思ったら思い出したのは君のことだった。
笑った顔をと願うのに、浮かぶのは別れたときの悲しげな表情で、罪深い所業を思えば仕方ないかと、諦めが降る。
それでも、死にゆくこの時に君を思い出せるならずっといいと、彼女を帰せて良かったと心は満ちて、失われる血に揺らぐ意識の中でたとえ幻でも君を見ていられるのならと、薙刀を地に打ち立ち続ける。

『弁慶さん!』

ああ、声まで聞こえる。
何て幸せな最期だと、笑みが浮かんだそのとき、辺りが眩く輝いて。

「弁慶さん……っ!」

声と、頬に触れたぬくもりに、まさかと確かめるように目蓋を開く。

「望美……さん……?」

そんなはずはない。
彼女は元の世界へ帰ったのだから。
平穏で、彼女が彼女らしくあれる場所に。
なのに、あたたかい。
幻ではないと伝えるぬくもりが彼女がそこに在るのだと知らしめて、どうして、何故と思考が空回る。

「私は、私だけが平穏な世界で何も知らないで生きていくなんて、そんなのは嫌なんです」
「いけ、ない……君はもう……」
「私は、もう神子じゃない。ただの春日望美です」

だからと、剣を手に前を見据える眼差しは強く、切り開く光を宿す。
眩くて、誰よりも気高いひと。

「だからこそ、この人のためにーー戦う!」

たとえ剣を振るい、血にまみれようと、彼女はどこまでも気高く綺麗だった。
追手の気配がなくなったのを感じ、体が崩れ落ちる。
慌てて駆け寄った気配は、彼女ともう一人。
彼も戻って来てくれていたのかと、わかったのはそこまでだった。



「弁慶さん!?」

崩れ落ちた弁慶に駆け寄ると、その顔は白く、弱々しい吐息は今にも途絶えてもおかしくなく、望美は血まみれの身体を抱きしめ、白龍に祈る。

「どうか、どうかお願い……弁慶さんを助けて白龍!」

助けたいと強く願い、己の龍を呼ぶと真っ白な空間が広がる。

「神子」
「白龍! お願い、弁慶さんが、このままじゃ弁慶さんが……っ!」
「神子は弁慶を救いたいと願うんだね」
「お願い……弁慶さんを……っ」
「願って、強く。強い願いが龍神を龍神たらしめる。神子の祈りが強ければーー強く願えばそれは叶う」

いなくならないで。
側にいて。
側にいたい。
ずっと。
あなたを、失いたくない。

どうかと、ただ彼に生きてほしいと、そう願い続けると、小さな呻きが聞こえて。
蒼白かった頬に血色が戻る。

「望美、さん……?」
「あ……ぁ……っ!」

ホロリと、眦からこぼれ落ちた雫がいくつも頬を濡らす。
確かな命の息吹を感じて……弁慶が生きているとわかって嗚咽が漏れた。

「弁慶さん……っ! 良かった……良かっ……」

伝わるぬくもりが、抱きしめ返してくれる力強い腕が彼がここに居るのだと、生きているのだと教えてくれる。
先輩、と声をかけられ視線を上げると、柔らかに微笑む譲に涙でぐしゃぐしゃになった顔を向けた。
キィンと光り輝く逆鱗に触れて。
決して離さないと、腕のぬくもりを抱きしめて、時空の流れに身を委ねる。
あんなに怖かった時空を越える瞬間も、今は怖くない。
譲も、そして弁慶がいる。
今度こそ一緒にと、眩い光の先に広がる世界へ手を伸ばした。

20210203
Index Menu