弁望115

「弁慶が坤の卦、地の朱雀」
「こんのけ?」
「朱雀、白虎は京を守る神の名ですね。青龍、玄武と四体で四神と呼ばれています。卦は大陸から伝わった占術で使われる八卦のことで、坤はその一つ、大地を表します」

白龍から語られる言葉にクエスチョンマークが脳内を埋め尽くしていると、弁慶が笑って説明を加えてくれる。
けれども卦とか坤とか、説明を受けてもやっぱり意味は分からなくて、その時は曖昧に流してしまっていたけれど。

「卦って八葉の力を表してるんですね」

戦闘を終えてなるほど、と一人納得すると、構えを解いた弁慶がこちらを見る。

「そうですね。僕は大地を顕現する力を与えられているようです」

白龍の炎と弁慶の大地の力が合わさり、発された技は地面を叩き割る強大なもの。

「え~と、地は水に強くて、でも木には弱い……」
「君は勤勉ですね。仕える神子が君のような人で助かります。ただ……」

ひそめられた声に顔を上げると、思いがけず距離が近くて強張る。

「どうか無理はしないでくださいね。君は僕たちの大切な神子なんですから」
「わ、かりました」

受けた剣の重みをうまく逃がせず、腕に怠さを感じていたのを見抜かれてしまったらしい。
治療しましょう、と促されて嫌とは言えず、部屋で大人しく待っていると、薬を手に弁慶がやって来た。

「まずは手を見せてください」

そう言われて腕をまくると、僅かに見開かれた目に首を傾げる。

「弁慶さん?」
「いえ……では失礼しますね」

断りを入れ、触れてきた手は医師のもので、この時代でもお医者さんって変わらないんだな~とその様子を見守る。

「相手の力に堪えようと、無理をして踏ん張ってしまったのでしょう。二、三日は安静にしてくださいね」
「花断ちの練習は?」
「休んでください」

有無を言わせない微笑みに、仕方なしに頷くしかない。
元の世界に戻るには白龍の力を取り戻す必要があり、それには乱れた五行を正さなければならないのだけれど、一人で怨霊を封印していくには無理があり、弁慶達に同行するしかなかった。
けれども、源氏の総大将である九郎からは戦えない者を連れていけないと言われ、課題を出されてしまったのだ。
その為、望美は神泉苑で毎日花断ちを習得しようと剣の練習をしながら、怨霊と戦う日々を過ごしていた。

「軽い筋肉痛じゃないのかな」

この世界に来て初めて剣を振るうようになり、それも自己流とあってはうまくいかないのだろう。
そんな時に九郎の師を知り、自身も教えてもらえないかと考える。
まずは目の前のことを……そう考えていた一度目の時空。
それがどれほど愚かだったか思い知る。
静かに降る雨。
どこかしらから聞こえてくる生徒の声に、ここが学校の渡り廊下だと知る。

「戻って、来た……?」

あの日、あの世界に喚ばれた時と同じーー。

「同じ?」

違う。
だって将臣も、譲もいない。
あの世界だって夢じゃない。
炎の熱気だって覚えてる。

『神子ーー生きて』

白龍の慈しみに満ちた笑みを思い出して、がくりと膝が崩れる。
固い地面。
あの世界にはないコンクリートの冷たさがただ一人生き残ったのだと否応なく知らしめて、ポタリ、ポタリと地面を濡らす。
こんなふうに叫んだことがあっただろうか?
こんな張り裂けんばかりの胸の痛みなんて知らなかった。
苦しくて、痛くて、呼吸は千々に乱れてままならず、無意識に地面を叩いていた手は血が滲んでいた。
でもこんな痛み、なんてことない。
みんなは平家に追われて傷を負って……その先を考えると涙が止まらずうなだれると、一枚の欠片が目に入る。
導かれるように手に取ると、空気を震わせる不思議な音に白龍の言葉を思い出した。

「時空を、越える」

呟きに呼応するように光る逆鱗に、仲間達の姿が胸に溢れる。
今の自分ならみんなを助けられる。
運命を変えてみせる。
そう強く決意して、時空を越えてーーまた彼を失った。
これは罰なのだと、そう儚く笑って、弁慶は一人消えてしまった。

「ズルいよ……」

大丈夫だって言ったのに。
それは彼の嘘で、彼の抱えていた罪も、願いも知らずに、一人で消える道を選ばせてしまった。
私が、彼を信じられなかったから?
平家に寝返るつもりだと聞いても、まさかとしか思わなかったから?
君には見せたくなかったと、優しく目を覆う手をただ払って、忘れちゃいけないなんて、そんな子どもじみた感傷を口にしたから?
だから彼は一人で決断して、足掻く子どもを上手にあしらって、自身の罪は自分で贖わなければならないと、大人の顔を振りかざして消えてしまったのか。
胸に甦る消失の痛み。
もう決して死なせないと、そう誓って時空を越えたのに、再び彼を死なせてしまった。

「これでいい、なんて……」

認めない。
許せない。
こんな結末を迎えるために戻ってきたわけじゃない。
あなたの嘘を暴いて、一人で抱えるなんてもうさせない。
そう決意して、手にした鏡の欠片を胸に、逆鱗をかざす。
光り輝く視界の中で、あの人が消えた所を見て。
一雫、涙が頬を伝う。

「ーー今度こそ絶対救ってみせる」

言霊で自身を強く縛ると、時空に身を投げ出す。
一度目は訪われ、二度目と三度目は自身の無力さから。
けれども四度目をもう自身に許すつもりはなかった。

20201031
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