君に恋をした

弁望113

好きです。
そう聞いたのは幻聴だったのか。
問いたくても膝の上で気持ち良さそうに眠っている人を見ると起こすことも出来ず、望美は火照った頬と混乱する思考に一人唸る。

「ズルいよ……もう」

こんな無防備な寝顔なんて知らない。
だってこんなふうに身を預けてくれたことは一度もなかったから。
弁慶に乞われ、この世界に残ってから半年がたった頃、望美は彼に恋をした。
それまではただあの運命を変えたくて必死で、だから彼に乞われた時はひどく戸惑った。
ーーだって彼に恋をしてなかったから。
正確には誰にも恋をしてなかったから、特に全く自分に関心がないと思っていたこの人から求められたのはただ驚いた。
受け入れた瞬間の安堵と申し訳なさの入り交じった笑顔が心に残って、だからその手を振りほどけなかった。

それから弁慶は軍師を退き、五条で薬師を生業に始めたので、望美は彼の庵に通うようになった。
好きだと乞われても彼がすぐに距離を詰めることはなく、薬草を摘みに行ったり買い物に出かけたり、そんな穏やかな日々を過ごすなかで自然と望美は彼に恋をした。
今まで見ることのなかった心からの穏やかな笑み。
薬師として真摯に患者と向き合い、時に泣く子どもに優しく接する。
そんな弁慶の一面に触れるたびにトクリと胸が高鳴って、少しずつ恋心が降り積もった。
だから彼に恋をしていると、そう自覚した頃に共に住まないかと誘われて、一も二もなく頷いた。
側にいたいと、乞われたあの時のように望美も思ったから。

共に暮らすようになってからも部屋は別で、弁慶はそれ以上を求めてこなかったから、しばらくはただの同居人のような状況が続いた。
それでも朝目が覚めておはようと挨拶をして、一緒にご飯を食べて、薬師の仕事の手伝いをして共に過ごすのはやはり嬉しくて満足していた。
だけどいつ頃からだろうか、ふとしたおりに弁慶が見せる表情に気づいたのは。
焦がれるような瞳に、けれどもすぐにそれは消えてしまって、残るのは少し困ったような笑み。
感情を隠すことに長けている彼を知っていたから、またかと不貞腐れるとどうすればいいのか考えた。

軍師をしていたぐらいだから、とにかく弁慶は考えを容易に読ませてはくれないから、笑みの下に隠されたものを暴くのは簡単ではない。
けれども共に過ごす時間が長くなるとちょっとしたことは分かるようになってきて、だから疲れているのに趣味と実益を兼ねてさらに動こうとする彼にストップをかけた。
膝枕は寝ろと言っても大人しく寝ないだろうと予測をつけてのものだ。
横になるだけでも少しは休めるだろうし、頭を撫でていれば容易に起きれないだろうと考えたのだが、本当に寝てくれたのは予想外だった。
それだけ疲れがたまっていたのだろう、と戦処理が済んだ後も休まず薬師として働いていた姿を思い返していると、思いがけず聞こえてきた告白。
すべてが終わったあの時、一度だけ聞いたその言葉は、けれども今は受ける思いが全然違った。
だって望美も彼を好きなのだから。

「もう、寝ぼけたんじゃないなら起きたらちゃんともう一度言ってくださいよ?」

あの時とは違う、恋情の滲んだ声。
最初の告白はただ引き留めるための口実だったのではないかと、そう思うぐらい今の告白とは別物だった。
トクトクと、忙しない鼓動を一人やり過ごしながら、彼の目覚めを待つのだった。

20201023
Index Menu