私が恋を知るまで

弁望111

分からなかった。
何故こんなにも彼のことが気になるのか、知りたいと思うのか。
始めはただ優しい人だと思っていた。
柔らかな物腰に甘い言葉。
見目麗しく、そんな人に優しくされたら嫌な気などしないのは当然だろう。
けれども、そんなただふわふわと呑気なことを思えたのは始めの時空だけ。

福原で先生を失って、ここは私のいた平和な世界と違うのだと思い知らされて、そこからは転がり落ちるように悪い方へと進んでしまった。
炎の中で白龍に助けられ、一人渡り廊下に戻った瞬間の絶望。
共に旅した仲間の誰一人も側になく、ただ自分だけが助かった。
その現実を目の当たりにして、嫌だと、こんな運命は受け入れられないと強く思った。 変えたいと願った。

逆鱗の力で時空を遡って元気な皆の姿を見た瞬間、どうしようもなく泣きたくなった。
でも、そんなことではまたあの日に進んでしまうから。
運命を変えるにはどうすればいいのかを先生と話し、一人模索する日々が始まった。
注意深く観察して、運命を変える転換点を探して。
だから熊野で弁慶さんがふらりとどこかに行くのに気づいて追いかけたのに、特別な理由はなかった。
自分のささやかな助言で運命が変わるのは三草山で分かったから、些細な変化も見逃さないように気をつけていたから、前の時空ではなかった彼の行動が気になっただけだった。
湛快さんとの話は全く分からなかったけど、彼の忠告は自身の経験からなのだと分かったのはそれからずっと後のことだった。

平家の間者との密会を目撃して、源氏を裏切るつもりだと聞いても本気だと思えなくて。 弁慶さんもそれが分かっていたからこそ、隠すのではなくあえて真実を口にして嘘だと思わせたのだろう。
あっさり騙された私は行宮でそれが本気だったのだと知った瞬間、人質として平家へ連れていかれた。

分からなかった。
彼が何故源氏を裏切ったのか。
戦を終わらせたいと、確かに春に聞いてはいた。
けれどもその為なら今まで共に戦っていた仲間さえ裏切り、平家に寝返るのか。
確かに始めの時空では、平家に追いつめられ、京は火に包まれていた。
けれども京に応龍の加護を願うのは、平家の行っていたこととは反するように思えた。
分からない。
分からないけれど、このまま囚われたままでいられなくて牢を破り、弁慶さんを追った。
そしてーー。

「…………っ」

思い出した消滅の瞬間に胸が締めつけられる。
笑ってこれが罰なのだと、そう一人消えてしまった。
何も分からなかった。
彼を分かってあげられなかった。
裏切ったのは清盛に近づき、黒龍の逆鱗を壊すため。
怨霊を生み続ける逆鱗を壊し、黒龍を復活させ応龍の加護を再び京に取り戻す。
それこそがずっと彼が願っていたことであり、源氏を裏切ってまで叶えたい悲願だった。
その為に新たな罪を負っても、人知れず一人消えてしまうことになっても迷わず自身を犠牲にして選んでしまった。
側にいたのにまた失ってしまったことが苦しくて、嫌で、時空を再び遡った。

この時、私は彼に恋はしていなかった。
ただ再び失なった事実が嫌だと、始めの絶望と重なる思いに突き動かされ、彼が生きる時空を求めて跳んでいた。
もっと前に八咫鏡があればーーそう彼は言っていた。
これがあることで彼が選ぶ策を変えられるならどこに行けばいい?
裏切りよりも前ならきっと、彼ははぐらかしてまともに話を聞いてはくれないだろう。
警戒して動向を少しも探れないよう画策するかもしれない。
ならばそれは裏切りの時でなければならないだろう。
だからその瞬間までこれでいいのか悩みながら周りに話すことをせず、彼と二人きりで話せる時を待った。
違わずに進むことに怯えながら、それでも変えて見せると奮起して、驚く彼に八咫鏡を見せた。
それが決定打となり、彼が信じてくれた時には泣きたくなった。
これでもう彼は死なない、そう思うと良かったと心から安堵した。
もちろん運命が変わったことを確信するまで気は緩めなかったから、すべてが終わった瞬間も変えられたことに安堵するよりも驚きが勝って、すぐには実感出来なかった。
だから弁慶さんが言うことが理解出来なかった。
好きだと言われ、乞われて惑い……それでももしこの手を払ってしまったら、彼はどうなるのだろうと思うと取らずにはいられなかった。

恋はしていなかった。
執着はしていた。彼の命に。
けれども穏やかな日々を共に過ごすうちに、今まで知らなかった彼の一面を沢山知って、共に過ごすことが当たり前になっていくらかもしない頃に、私は彼に恋をした。
そしてそれは彼も同じだったのだろう。
だって私が恋を自覚するまで、彼は一度も手を出しては来なかった。
家だって景時さんのところに世話になったままで、弁慶の営む診療所に通っていたけど、私が彼を好きだと思った頃に、共に住まないかと誘われたから。

一緒に暮らすようになってからも部屋は別で手を出すことはなかったから、私はゆっくり恋をすることが出来た。
薬草を摘みに行ったり、簡単な手当てを教えてもらったり、買い物に行ったり。
そうした日々の何気ない穏やかな生活を共にすることに幸せを感じて、この人と一緒にいたいと、そう思うようになった。
それをそのまま弁慶さんに告げたら苦笑されて、ならば君にもっと好きになってもらえるように努力しなければなりませんねと、触れるような優しい口づけを受けた。
鼓動が跳ねて、それでも嫌じゃなくて、恥ずかしいのに離れたくない。
だから君を僕にくれますか?と問われ、頷いた。
彼はとても優しく抱いてくれた。
痛みはゼロではなかったけれど、それでも幸せで、触れる温もりが心地よくて良かったと思った。

それから弁慶さんは自身のことを少しずつ教えてくれるようになった。
両親のこと、比叡で過ごした日々、源氏に与してからのこと。
彼のことを知る度に思いは深まって、側にいたいと思う気持ちは強くなって。 そんな頃、身体の異変に気がついた。
ご飯の炊ける匂いに気分が悪くなり、妙にあるものだけを食べたくなる。 それに弁慶さんはすぐに気づいて、自分が妊娠していることを知った。
嬉しくて、連鎖していく幸せに弁慶さんの手を取る。

「私、幸せです」

そう告げると僕もですと柔らかく微笑まれて。 私と弁慶さんは家族になった。

20201011
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