幸せの薫り

家ほた4

ふと感じた薫りにくん、と鼻を揺らす。
見慣れたはずの三河の景色に混ざる鮮やかな橙色に目を移すと胸が温かくなって、無性に家康に会いたくて羽根を羽ばたかせた。

ほたるがここ三河に来ることになったのは、安土で光秀に雇われた縁からだった。
当時、同盟相手である信長のもとを訪れていた家康の女性苦手を克服させよと命じられて交流を深めるうちに、彼に惹かれている自分に気がついた。
それでも、彼と添い遂げる未来など思い描きはしなかった。
何故なら家康は三河の領主であり、自分は一介の忍び。
また初めて得た夢の為に安土での任務に励みたいとも思っていた。
なのに家康は共に歩むことを求めてくれた。
信長も安土でなくとも願いは同じだと、背を押してくれた。
だから家康の手を取り、ここ三河を終の住処とすることを決めたのだ。
僅かに開いていた障子の隙間をいつものように通り抜けると変化を解く。

「おかえりなさい、ほたる殿」
「ただいま戻りました、家康殿」

ほたるの出現にも驚くことなく迎えてくれた彼に、自然と頬がほころんだ。

「ほたる殿? 何やらとても嬉しそうですが、安土で何かありましたか?」
「いいえ。安土の皆様は変わりなくお過ごしでした。ですが先程、金木犀の薫りでもう秋なのだと気づきました。私がこの三河に来て一年が過ぎたのだと」
「……そうですね」

胸元に手を充て目を伏せると、穏やかな同意にまた胸の奥が温かくなる。

「そう思ったら家康殿に会いたいと気が急いてしまいました」
「いつもあなたに伝達をお願いしてばかりですみません」
「いえ、私が望んでしていることです」
「僕も、あなたに会いたかったです」

ポツリと、それでも伝えてくれた言葉に胸がほかほかと温かく、その思いを伝えたいと手を伸ばす。

「家康殿……お慕いしております」
「……っ」

わずかな距離を詰めて寄り添うと、背に回された腕が優しく身を包んでくれる。
伽羅の薫りに心が凪いで、胸の温かさにああこれが幸せなのだと知る。
安土での任につかなければきっと一生知ることはなかっただろう。
――家康と知り合わなけば。

「あの、苦しくはありませんか?」
「大丈夫です。温かくて……家康殿の香が心地よくて、ずっとこのままでいたいと思うほどです」
「ならもう少しこのままでいましょう。僕もあなたに触れていたいですから」

耳元の囁きに満たされながら、ふと金木犀の薫りを感じた気がして、思い出した景色に明日家康と共に散策してみようかと考える。

「家康殿、もしよければ明日散策をしませんか? 金木犀をあなたと共にみたいと思いまして」
「はい、喜んで」

ここはどうしてこんなにも温かいのだろうと考えて、彼がいるからだと浮かんだ答えにほぅと幸せの吐息をこぼした。
20210927下天の華ワンドロワンライ2021
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