安土学園

夏と言えば海だろう、とそんな信長先輩の一言で海合宿に来ることになったスイーツ部。
だがかったるそうな雇い主に反して、ほたるは瞳を輝かせていた。
何故なら彼女にとっては初めての海だからだ。

「本当に海の風は潮の香りがするのですね!」
「おーおーはしゃいで桔梗ちゃんは可愛いなぁ」
「日差しがかなり強いので、もしよろしければこちらをお使いください」
「ありがとうございます、家康くん」

差し出された日傘に感謝の言葉を述べて微笑むと、その可愛らしさにほぉと感嘆の吐息をこぼす。
外側は白を基調に繊細な薄模様が描かれ、内側は鮮やかなブルーにドット柄ととても涼しげで、まるで令嬢にでもなったかのような素敵な日傘に家康を見る。

「このような素敵な日傘をお借りしてしまってよろしいのでしょうか?」
「は、はい。是非」
「ほお……女物とはまるで桔梗のためにあつらえたようだな」
「い、いえ、その、海は日差しが強いので、桔梗さんは肌がとても白いので焼けたら痛いだろうと……っ」
「お心遣い本当にありがとうございます。初めてのこと故準備が足りず、家康くんのおかげで助かりました」

ニヤリと笑みを浮かべる信長と、慌てる家康を見て、桔梗が心からの礼を伝える。
海に必要なものはとスマホで検索し、日焼け止めやスポーツドリンクなどは用意していたが、海に入るまでの準備を怠っていたと反省する。

「なぁなぁ、早速海に入ろうぜ!桔梗ちゃんも水着持ってきたんだよな!?」
「はい。もちろんです」
「よし!じゃあ着替えたらまたここに集合な」

ガッツポーズで駆けていく秀吉を先頭に男性陣が着替えにいくのを見送って、ほたるも女性用で着替えをする。
布面積が少なく、非常時の対応にはいささか心もとない格好ではあるが、タンキニは秀吉と光秀にも却下されてしまったので、水着に暗器を潜ませることは諦めた。
鏡で己の姿を確かめるとしっかり日焼け止めを塗り、待ち合わせ場所へ向かう。
すでに男性陣が揃っていることに歩みを早めると、ほたるの姿を見るなり秀吉が口笛を吹いた。

「ひゃあ~桔梗ちゃん可愛いね~! 俺の選んだ水着だったらもっと最高だったんだけどな」
「秀吉先輩の物は明智先生が却下されました。それにあれはいくらなんでも布面積が少な過ぎるかと」
「かぁ~!スタイル抜群な桔梗ちゃんだからこそ着こなせる代物だったんだぜ!」
「あんな破廉恥な水着を妹に着せるなどありえませんね」
「ならばそれは光秀の選んだものか」
「ええ。『部のメンバー』を考慮したデザインに致しました」

暗に家康が逃げ出さずに済むように露出を控えめにしたとほのめかす光秀に、ほたるはそろりとかの人を見る。
顔を赤らめてはいるものの、その場から走り去ってはいないので大丈夫だったのだろうと、ホッと胸を撫で下ろした。

「ではいくぞ。海に来たからには全力で楽しむのが礼儀だろう」
「海は急に深くなるところもあるから気をつけるんだよ」
「わかりました」
「俺が浮き輪で引いてやるから大丈夫だぞ桔梗ちゃん!」

秀吉が持っていた大きな浮き輪はほたるのため用意したものだったらしい。
海は初めてとはいえ、そこは忍びとして鍛えられたほたるは当然泳げるので不要な物だが、好意を無にするのも申し訳なく、とりあえずありがとうございますと頷いた。

「ビーチバレーもいいがまずは海か」
「桔梗ちゃん、日焼け止め塗ってやるぜ!」
「いえ、自分で塗りました」
「ええ~背中は?」
「必要ありません。君はさっさと入りなさい」

しっかり秀吉対策のとられた水着は首から背中を覆い隠し、けれどもほどよい色気を感じさせるデザインで、露出は自分で日焼け止めを塗れる範囲だった。
水温を確かめるように足先を海に入れると、ひやりとした感触が心地よく、身体への影響を確かめながら徐々に深いところへ進む。
波も穏やかでゆらりと身体の揺れる感じが面白いと、ほたるは頬をほころばした。
海の水は塩辛いのでゴーグルが良いと、光秀に用意されたそれで潜ると、澄んだ景色が視界いっぱいに広がる。
砂が白いために日差しを受けた水がエメラルドグリーンのように映り、その美しさに心が踊る。
ひとしきり堪能してから水中から顔を出すと、浜辺に光秀の姿を見つけた。
やはり昨夜話したように、彼は入るつもりはないらしい。
こんなにも美しく、気持ちがいいというのにもったいないと思うも、雇い主に指示を出せる権限はほたるにはないので、サッとメンバーの所在地を確認する。
信長は秀吉と家康、蘭丸と潜水し、どれだけ長く潜れるかを競っているようで、辺りに危険なものがないことを確認して水に潜る。
四人が真面目な顔で潜っている様が楽しく笑みを浮かべると、こちらに気がついた家康がびくりと肩を跳ねさせ、水上へ上がってしまったので追う。

「すみません、驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ、大丈夫です」
「信長先輩と秀吉先輩はまだ続いているようですね」
「そう、ですね」

ほんのり頬を赤らめる家康に、改めてその姿を見る。
がっしりした肩が露出しているのが新鮮でつい見つめると、視線に気づいた彼がさらに顔を赤くする。

「桔梗さん?」
「あ、ぶしつけに見てしまってすみません。やはり家康くんはかなり鍛えられていますね」

一見優男のような風情だが、野山散策を趣味とし、剣術も嗜んでいるというだけあって、ひきしまった身体は美しい。
しかも最近は長かった前髪を切り、その表情がより分かるようになり、よりスムーズに交流がもてるようになっていた。

「海とは素敵なところですね。水が塩辛いのは不思議ですが、それがまた面白く思います」
「桔梗さんは海が初めてでしたね。もこもこの雲にカモメさんが飛んでいるのを眺めてると、すごく楽しくなるんです」

家康の言葉に空を見ると、彼の言葉通りの光景にふわりと笑んだ。

「本当ですね。海にばかり気を取られていましたが、空もまた常とは異なる姿があることを知りました。教えてくださってありがとうございます」
「いえ、その……桔梗さんもカモメさんを好きになってくれて嬉しいです」

二人和やかに微笑みあっていると、傍にブクブクと水泡が浮かんで、ザバリと秀吉と蘭丸が顔を出す。

「ぷはっ! ハッ、ハッ……」
「ふ! 秀吉も蘭もまだまだだな」
「信長様、女性にあのようなことを……っ」
「いやぁ、あれは反則ですぜ。おかげで俺まで蘭丸に巻き込まれちまった」 「秀吉、そなたが桔梗を気にかけておるから、要望に応えてやっただけだ」
「信長くん?」

三人のやり取りに首を傾げる家康に、ほたるが苦笑する。
ひらりと水着の裾をめくられたことには気づいていたが、そういう意図だったらしい。

「信長先輩、裾をめくるのはお止めください」
「一枚程度問題ないだろう?」
「明智先生が怒られるかと」
「気にするな」

確かに一枚めくられても素肌をさらすわけではないが、色をあえて感じさせることは雇い主が好んでいないことは分かっていたので、ほたるは眉を下げる。

「よし、次はスイカ割りで勝負ってのはどうですか?」
「ふ、いいだろう」

次なる勝負を定めて浜へと泳いでいく秀吉に、空を見上げて。
まるでこぼれ落ちそうなほどの白い雲に手をかざして、光る水滴を見る。
合宿は始まったばかりだった。
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