この思いを伝えられたら

央撫18

「月が綺麗だね」

央の言葉に濁ってしまった空に浮かぶ、珍しく澄んだ光を帯びた月を見上げて。
ふと、昔聞いたフレーズを思い出した。
それは文豪として知られる夏目漱石が英語教師をしていた時に、「I love you」を生徒に訳させると、「我君を愛す」と直訳する生徒に「日本人はそんなセリフを言わない。「月が綺麗ですね」と、それで伝わるものだ」と言ったというものだ。
もちろんこれは出典もわからない話で、事実かどうかもわからないものだが、婚姻を結んだわけでもない男女が並んで歩くことも許されない、そんな奥ゆかしい時代ならではの、遠回しにロマンチックに愛を伝える言葉だと言われればなるほどと思ったものだった。
央がこの話を知っていて言ったわけではないと、そうわかっているのに、ふと思い出して妙に落ち着かなくなってしまう。

「撫子ちゃん?」

人の機微に敏感な央が気づいてこちらを見るが、どうにも答えにくく、何でもないと首を振る。
この思いは伝えられないーー伝えてはいけない。
だって撫子は帰らなければならないのだから。
それでも、もし伝えるなら。

「貴方にいつでも頼ってほしいの」
「え?」

助けられるだけじゃなく、貴方の傍で頼られる、そんな存在になりたい。
直接伝えることは出来ない思い。
それを他の言葉に変えて、少しでも伝えられたら。
そんなことを思いながら、空に浮かんだ月を見上げた。

20201120
Index Menu