「あれ?」
宿舎内を歩いていて、扉の前で首を傾げる。
「こんな所に部屋なんてあったっけ?」
ポイントが貯まれば願いを叶えることが出来るから、突然作られたとしても不思議でない世界だけど、帰還を目的としている今、誰かがわざわざ作るとは考えにくい。
そろりと中を覗くと、四方を真っ白な壁に覆われただけで家具などは一切なく、用途がまるでわからない部屋だった。
「何してるの?」
「うわあっ!」
突然かけられた声に、比喩なく飛び上がる。
「何か面白いものでもあるの? でも昨日までこんな所に部屋なんかなかったよね?」
「うん。私も今気づいて、何だろうって見てたところなの」
ヒヨリの驚きなどまるで気にせず空き部屋の中を覗きこむ凝部に、再び視線を戻すと同意する。
「あれ?」
先程まではなかったはずなのに、何故か床の上に紙のようなものが置かれている。
「何だろう、あれ」
「何かいかにも罠っぼいよね」
「罠って……」
「でも異世界配信側もキャストも、閉じ込めるメリットはないか。ならボーナスポイントとか?」
以前、風呂場を作ってくれたことを思い返していると、部屋に入る凝部に慌てる。
「凝部くん、入ったら危ないかもしれないよ!」
「大丈夫大丈夫。君は念のため、外にいて……って」
「え?」
音もなく消えたドアを茫然と見る。
つい追いかけて中に入った瞬間、ドアが消えてしまったのだ。
「あちゃー二人とも閉じ込められちゃったね」
「閉じ込められたって……」
「他メンバーへ通信も不可。僕らがここにいることを知るものもなし。不審な部屋に誰かが気づくのを待つしかないかな」
バングルを操作しながら冷静に状況を分析する凝部に、けれども落ち着けるはずもない。
ドアがあった壁に触れてみるが、繋ぎ目のようなものもなく、本当に消えてしまったというのが正しい現状に動揺していると、凝部が床に置かれた紙を手に取る。
「恋人の時間をお楽しみください……だって。いつの間にかベッドが増えてるし、しかもキングサイズって上げ膳据え膳ってやつ?」
「な、な……」
「どうする? せっかくだから恋人の時間楽しんじゃう?」
「楽しみません!」
ニヤリと笑いながらこちらを見る凝部に、顔を赤らめると、紙を奪って確認する。
内容は彼の言う通りで、ヒヨリは頭を抱えた。
ドラマならいつものようにカウントやカンペが表示されるだろう。
それがないというのはどういうことなのか?
「恋人の時間を楽しむって……」
現れたベッドから浮かぶのはどうしても淫らな方面で、想いを交わしたばかりのヒヨリにはその先など想像すらしたことはなかった。
「せっかくだから……って言いたいところだけど、勝手に配信されたらたまらないしね。どうしようかな」
これ幸いと迫ってくるのかと思ったが、考えこんでいる凝部に驚いてしまう。
「なに? これ幸いと僕が襲いかかると思った? ヒヨリちゃんのお望みなら応えるよ?」
「応えなくていいから!」
「望みってとこは否定しないんだ」
「望んでない!」
「そんな全力否定されると傷つくんだけど」
軽口の応酬に頬を膨らませると、凝部が肩をすくめる。
「初めてはやっぱりロマンチックに、とか思っちゃう?」
「そういうことじゃなくて……っ、急にそんなの……無理だよ」
いくら凝部のことが好きだといっても、まだキスだって一度しかしてないのだ。
その先なんて到底考えられるはずもなかった。
「だったら急じゃなければいいの? 僕のこと、好きなんでしょ?」
「……っ、凝部くんはその、そういうこと……」
「男だからね」
「……っ」
あっさり肯定されて身を強張らせる。
出口のない、窓さえない部屋。
二人が寝ても十分なサイズのベッド。
何もかもが『それをすること』を促しているようで泣きたくなる。
凝部のことは好きだ。
キスだってしたし、触れられて嫌だなんて思わない。
(思わないけれど、だからってこんなーー)
「ヒヨリちゃん」
呼びかける声に大きく身を震わせると、凝部が苦笑する。
「何もしないからそんな怯えないでよ」
「……」
「さっきのは本音だけど怖がらせたいんじゃないからさ。それに、見世物になんかするのは僕も嫌だし」
「え?」
「十中八九、異世界配信側の仕業だと思うんだよね。だったらこれも当然見てるだろうし、配信されてる可能性もある」
「……っ」
配信と聞いて顔が強張る。
エンターテイメントだと言って憚らない彼らだから、凝部の想像はその通りだと思えた。
「配信されてるなら皆も見てるだろうし、そうでなくともトモくんが君を探さないはずない。だから現状、僕らが出来るのは『僕ららしく恋人の時間を楽しむ』ことかな」
お膳立てされたものに乗るのではなく、訪れるだろう脱出の時間を待つ。
そう言われて、肩の力が抜けた。
「ようやく緊張が解けたみたいだね。そんなに僕って信用ないんだ」
「そ、そういうわけじゃ……だって、こんな状況どうしたって動揺するよ」
「うん。でも君一人じゃない、俺もいる」
声に含まれた真剣な色に目を見開くと、うんと頷く。
「……うん。凝部くんが一緒で良かった」
「そこで安心しちゃうんだ。君、人がいいにも程がない?」
「凝部くんを信用してるから」
「……そんなふうに言われたら今さら手を出せないじゃん」
「ふふ」
軽口に、けれども先程のような焦りや戸惑いはない。
無駄に入っていた力を抜くと、ベッドの傍に腰かけた。
ーー上ではないのはやはり少し抵抗があるから。
「腰冷えない? 僕はベッドで一緒でもいいんだけど」
「凝部くんお一人でどうぞー」
「はは、全力拒否だね」
ごろんと、躊躇うことなく寝転ぶ凝部にすげなく答えるも、笑う姿からは拗ねた色はない。
恋人の時間をお楽しみくださいというからには、ある程度時間経過を待つ必要があるのだろう。
「はい、交代」
「え?」
ぐいっと後ろから持ち上げられ、ベッドに腰かけると、今度は凝部が下に座る。
「凝部くん?」
「いつまでもヒヨリちゃんを下に座らせてたら、トモくんに怒られそうだからね」
それに女の子は腰を冷やしちゃいけないっていうし、と軽口を吐くもそれが彼の優しさだとわかるから、肩にそっと手を置いた。
「ありがとう」
「やっぱり僕も隣にいようかな。床固いし」
「いいよ」
「はいはい……っていいの?」
「うん。冷たいでしょ?」
断られると思ったのか、目を見開く凝部に微笑むと、どこからともなく鈴の音が響いて、壁に再びドアが出現する。
「あ!」
「恋人の時間は終わりってことかな。出よう」
スッと立ち上がった凝部に、その後に続く。
部屋を出た途端、ドアは消えて、廊下は元に戻った。
「とりあえず演技強要はなくて良かったね」
「君の恋人役なら喜んでやるんだけどな」
何故か凝部と恋愛ドラマを演じたことはなく、それを彼が前にも指摘していたことを思い出して袖を引く。
「役なんかじゃなくて、私は凝部くんの彼女、だから」
「……うん」
「いずれそういうことも、してもいいって思ってる」
「ーーーーは?」
慌てて振り返った彼の頬に触れるだけのキスをすると、その場からサッと逃げる。
後ろから「はあ……何あれ。反則でしょ。凶悪すぎ」と呟く声が空気に溶けた。
20201119