くちびる

ソウヒヨ16

なら、はい。
そう言って目蓋が降りると、余計に急かされてると感じて、ヒヨリはどうしようと目を泳がせる。
おやすみのキスをーーそう凝部に乞われ、無理と押し問答を繰り返した末に、目を閉じてと言ったのはヒヨリだった。

(だって、見られたままなんて無理だよっ)

ほら、早くと唇を突き出されて簡単にキスが出来るほどこうしたことに慣れてはなく、到底無理なお願いだった。
それでもこのままこうしているわけにもいかず、う~と声にならない呻き声をあげると、渋々傍に歩み寄る。

(あ、凝部くんって睫毛長いんだ)

普段は人をからかうようなことばかり言うから分からなかったが、伏せられた瞳にそんなことを知って、何とはなしに観察する。

(髪は癖が少しあって、でもごわごわしてない。トリートメントしてるのかな)

指を通した髪は絡むことがなく、洗髪後に丁寧に髪を乾かし、手入れをしている姿を思い浮かべて笑ってしまう。

「何で笑ってるわけ?」
「わっ!」

パチリと開かれた目が向けられ焦るも、その眦はほんのり赤い。
頬杖をついて少しふてくされた顔は拗ねているようで、可愛いとつい笑ってしまった。

「あ~もう、何でそんなに可愛いんだか……」
「え?」
「何でもない。それより寝ろって言ったのはヒヨリちゃんだよね? おやすみのキスがないってことは起きてていいってこと?」
「ダメ。……もう、わかったから」

頬杖を崩して腕を伸ばした凝部を慌てて止めると、なら早くと促されてもう一度目を閉じるように頼み、再び閉じた目蓋を合図と覚悟する。
キスをしたことがないわけではない。
そんなに数が多いわけでもないが、彼とこうしたことはあるし、それを嫌だとも思ってはいなかった。
けれども自分からしたことはないし、いざしようと思うとどうしても恥ずかしく、躊躇ってしまった。
それでもまたここでやめてしまえば、今度こそ彼は起きてしまうかもしれない。
ここのところ無理をして夜遅くまで調べていたようで、目の下には分かるほど隈が出来ていた。
凝部が焦る気持ちは分かっている。
ヒヨリだって記憶が失われていると分かった時には早く思い出したいと思った。
それでも、こうして彼が身を削り無理をしているのは嫌で、眠るように強いたのはヒヨリだった。
そっと近寄ると、唇を寄せる。
ドキドキと胸は張り裂けんばかりに暴れていて、とても『おやすみのキス』にはならなそうだが、凝部が眠れればそれで構わないのだからと、無理矢理自身の動揺から目をそらせると、微かに触れた唇に身を離す。

「し、したよ」
「え~今のじゃ触れたか分からないじゃん」
「触れました」

確かにチョン、と擬音がつきそうなぐらいのバードキスだがキスはキスだ。
約束は果たしたと凝部を見るも、その唇は不満そうに尖っていて、とても寝てはくれなさそうだった。

「ほら、キスしたんだから早く寝……うわぁ!?」

ベッドに促そうとした瞬間、腕ごとさらわれる。
気づくと抱きしめられるように共に寝転んでいて、ヒヨリはカッと頬を赤らめた。

「凝部くんっ」
「はいはい、これ以上何もしないから。どうせ僕が寝ちゃったらやることなくなっちゃうでしょ。なら一緒に寝ようよ」
「え、それは」
「はい、言い訳は聞きません。それ以上続けるとおやすみのキスするよ?」

腕の中で身を強張らせるも、反論を封じられて大人しくする。

「そこで大人しくしちゃうんだ」
「……なに?」
「ううん、何でも。ふわぁ……ああ~もう限界……」

クスリと笑われて見上げようとするが、さらに抱き寄せられてそれも叶わず。
何かせめてかけるものでもと思うも、凝部が本当に眠そうなことに気がついて、今はこのままでいた方がいいかと大人しくする。

「ヒヨリちゃんあったかいね……」
「寒いなら布団持ってこようか?」
「大丈夫……君を抱きしめてればあったかいし」

すり、と髪に頬ずりされて、それをくすぐったく感じると、すぐに聞こえてきた寝息に安堵する。
本人はゲームに夢中になっていたと言っていたけれど、また遅くまで異世界配信について調べていたのだろう。
都市伝説ーーそう言われていたように、あれほど噂を耳にしていたというのに、いざその配信を観ようと思っても観たことがある者は周りになく、調べても噂ばかりでたどり着くことはなかった。
けれども自ら経験した故にあれが都市伝説などではなく、実在していることは分かっていた。

苦しくないぐらいの力で包み込む腕。 伝わるぬくもりが愛しくて目を伏せる。
守りたい。
彼を。この想いを。
そう思いながら、規則正しく刻まれる鼓動に誘われ、眠りへ落ちていった。

20201031
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