抜けない棘

ソウヒヨ14

キライなんて言われたら立ち直れないと、だから彼女と会う時は理性を総動員させていた。
なのに今はーーこの状況は。
唇の柔らかな感触。
伏せられた瞼。
五感の全てでヒヨリを感じて認識して……停止していた思考が一気に動き出す。

「な……っ、えっ、何? この据え膳」
「彼女からのキスにその反応はどうかと思います」
「や、そうだけど! 嬉しいけど!」
「けど?」
「……ヒヨリちゃん、そんなに積極的だったっけ?」

彼女からのキスなんて最高のシチュエーションなのに、みっともなく動揺している自分に舌打ちしたくなるが、こればかりは得意のポーカーフェイスを保てなかった。
けれどもこの反応は彼女には面白くなかったらしい。
怒ってますと如実に示す表情に、必死に鼓動を落ち着かせて向き合った。

「凝部くんは自分だけがキスしたいって思ってるの?」
「え?」
「私だって思うよ」
「……っ」

憂いを含んだ瞳でそんなことを言われたら、理性なんて保てたものじゃない。
なのにあっさり吹き飛ぶはずの理性は意外にも残っていて、それが自分の意識とは別のものからの影響だと気づいて苦々しくなる。

常につきまとう『彼女のそばにいていいのか』という思い。
前回も今回も、何かを忘れてしまったことがひどくもどかしくてーー苦しくて。
どうしても思い出さなければと、絶えずそれが頭にあった。

「……ん……ぅ」

沈みかける思考を浮き上がらせる生々しい感触。
柔らかで、あたたかくて、伏せられた睫毛がまざまざと映って沸騰する。
こんなことをしてる場合じゃない。
触れてはいけない。
激しく警告音が鳴っているのに、引き離すどころか引き寄せ貪っている自分を制御出来ない。

「……はっ……煽ってくれるじゃん」
「煽ってるもの」

技巧なんて知らず、ただ貪って乱れた吐息で嘲笑すれば、負けじと返された言葉に再び口を封じられて、甘く侵されていく情動にくらりと眩暈がする。
広がる。
身体中、隅々まで。
警告も揺らぎも惑いも、すべてを飲み込んで侵される。
ーーヒヨリという毒に。

「凝部くんが私を見なくても、私は離さないから」
「あは、すごい殺し文句だね」
「そうだよ。でも簡単には殺されてくれないんでしょ?」
「そんなことないよ」
「嘘ばっかり」

正しく自分を理解しているヒヨリに再び口を塞がれて、甘い毒を流される。
溺れていたいのに、忘れることをどうしても自身に許せない。
好きなのに、好きでいること自体が罪なのだと、そう烙印を捺されたようで手を伸ばせない。
解決するにはただ一つ。
思い出せばいい。
あの世界に残してきた心残りを。

(ああ、でも……)

その時、このぬくもりはきっと自分のそばにないのだろうと、確信を抱く理由が恐ろしい。
恐いものなんてなかった。
失うぐらいなら執着しなければいいと、そう決めてから何かを抱えるなんてしなかったから。

「溺れさせてよ」

俺を、君に。
しないと決めた執着を自身に課した君だから。
こんなふうに誰かに乞うたりする自身が滑稽で、なのに言えてしまうのはヒヨリだから。
ぎゅっと抱き寄せる腕に委ねながら、突き刺さった棘に目を閉じた。

20201025
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